ポコポコちゃんのブログ
ネット記事をひろい集めたブログだよ

憲法9条は日本人数百万人の犠牲によって手に入れた宝物です

この宝物をもっているのは世界で唯一日本だけですよ

悪友に一緒に侵略戦争しようとそそのかされても憲法9条があるのできっぱりノーサンキューと言える

ちなみに
日露戦争のプロデュースしたのは白い朝鮮人と言われているユダヤです


★【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発 ...
matome.naver.jp/odai/2136214578373977801?キャッシュ
2013年9月17日 ... 日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人らから借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」しました。しかし、実際には、同じユダヤ人がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたと言われます。そして、やがて太平洋戦争で米国に敗戦した日本 ...


★日露戦争の仕掛け人考
www.marino.ne.jp/.../hosoku_nithirosensonoshikakeninco.htm?キャッシュ
日清戦争は、実はユダヤが日本をけしかけて、中国大分割と全面植民地化の導火線に火をつけさせたものだったのだ。日露戦争の真相はどうだったのか。それは、国際ユダヤの帝政ロシア転覆の助手として、日本が利用されただけのことではなかったか。


★なぜ、NYの金融ユダヤ人は安倍晋三に日中戦争をやらせようとしているのか? ...
richardkoshimizu.at.webry.info/201404/article_57.html?キャッシュ
2014年4月5日 ... なぜ、NYの金融ユダヤ人は安倍晋三に日中戦争をやらせようとしているのか? 日中貿易は、日米貿易を凌ぐ規模に発展し、日本は大量の中間財・生産財を中国に輸出し、中国は消費財を日本にいやになるほど大量に輸出している。 NYの ...


近隣諸国民も徴兵制の無い日本は羨ましいと言っています


2014年3月17日


宮崎駿さん!憲法を変えるなどもってのほか!徴兵制度というのは最低ですよ!こんな原発だらけの国で戦争なんかできっこないじゃないですか。


国防軍にすればけりがつくなんていう問題じゃないと僕は思います

「改憲 もってのほか」 宮崎駿監督/ジブリ「熱風」憲法改正特集がPDFで緊急配信
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3128.html
『熱風』2013年7月号特集「憲法改正」(852KB)

http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf
英米韓ユダヤなどに飼われている安倍あほ晋三朝鮮人らは集団的自衛権をテコにして日本を戦争に参加させようとしているのです 
そして日本を世界の悪者にして報復テロなどもすべて日本になすりつけようとしているのだ

ネット記事のコピペです

自民党へ政権が戻って、半年以上が経ちました。
首相就任当初から、いやそれ以前から憲法改正に意欲を燃やしている安倍総理は、着々とその準備をしています。考えてみれば、自民党自体が、結党以来「憲法改正」を党の使命として掲げているので、これは自然と言えば自然の流れです。しかし、自民党の出している新憲法の草案を、また安倍総理が描いている、憲法96条改正の流れ、そして本丸であろう憲法9条改正を、どれだけの人が正確に理解しているでしょうか。もしかすると最大の問題は国民の無関心かもしれません。これはメディアの責任も大きいと思います。今後の日本の方向性を決めることにもなるので、この問題について主張を明確にしていくのは大切だと思います。

『憲法第9条』
第二章 戦争の放棄 第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを
保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(特集)憲法改正

憲法を変えるなどもってのほか 宮崎 駿

もう少し早く生まれていたら軍国少年になっていた
僕は1941年生まれですが、日本国憲法ができた時の
記憶はないですね(編集部注:日本国憲法公布は1946
年)。それよりも、子どもの頃は「本当に愚かな戦争をした」
という実感がありました。実際、日本軍が中国大陸でひど
いことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そうい
う話を間接的にではあっても何度も聞きました。同時に空
襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。
伝聞も含め、いろんなことを耳にしましたから、くだらないこと
をやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が
嫌いになりました。
僕が4歳の時に戦争が終わってますから、6つ歳上の高
畑勲監督や、3つ歳上の女房とは、戦後の経験がちょっと違
いますね。ただ空襲は覚えていますし、自分の街がもえる
のも見ています。負けたという屈辱感だけはありました。
戦後、アメリカ人がいっぱい来て、それを取り囲んでみん
なが見物している。でも僕はアメリカ人からチューインガ
ムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできな
い、そう思うような子どもでした。
今で言う、戦記物のようなものもずい分読みました。僕
が子どもの頃に出された本には太平洋戦争について「もの
すごく反省している」とか「本当はこうだった」みたいな
話が多かったです。鉄砲を撃つ仕事だけではなく、たとえ
ばレーダーにしても、どれほどいい加減なレーダーだった
かということや、一生懸命努力したのに全部無駄になって
しまったというようなことを、いろんな分野の人間たち、
決してヒーローでない人間たちが書いたものが、ずい分出
版されたのです。
景気のいい話なんて本当にありませんでした。軍艦が沈
められた後に、乗員たちが漂流してどうやって助かったか
なんていうような話も含め、子どもながらにも「実際情け
ない戦争だったんだ」という気分だけはとてもありました。
後にロバート・ウェストールが書いた『「機関銃要塞」
の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」
と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦
争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないこと
に腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、
見極めるきっかけになっているんです。ウェストールのほ
うが僕よりも年上かな(編注:1929年生まれ)。彼は63歳で
しんじゃいましたが。
僕は彼の本を読んで、自分がどういう質(たち)を持って
いるかということに気づきました。僕は「自分の命よりももっと
大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために絶命する
んだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタ
イプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、
絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。さらにも
っと早く生まれていれば、志願して、戦場で慌ててすぐに
絶命してしまうような人間です。あの当時は、本当の戦争と
いうのは何か、がわかった時には絶命する時だっていうような
時代だったと思います。もしかしたら、幸か不幸か僕は目
が悪かったので、特攻には志願できないので、宣伝の絵と
かマンガなんかを描かされていたかもしれなかった。
父は戦時中飛行機の部品を作っていた
そんな子ども時代の戦争の記憶ですが、世の中の様相が、
いわゆる戦時下のような状態になるのは、昭和19年(1944年)
以降、国全体がヒステリックになってからです。
ただ、うちの親父は現実主義で、ニヒリストで「天下国家、
俺は知らん」というような人物でしたから、親父の話だけ
を聞いてると、また全然違いました。
親父は関東大震災の時に、墨田区にあった陸軍被服廠跡
という、人がいちばん絶命したところを逃げ回って生き残っ
た人間なんです。まだ9歳だったのに妹の手を引いて逃げ
たというのが自慢でした。戦時中は東京大空襲の翌日に、
親戚の安否を尋ねて東京に入ってるんです。だから、二度
の遺体累々を見ています。
学生時代の思い出を聞くと、小津安二郎の戦前の映画の
「青春の夢いまいづこ」にそっくりで、徹底した刹那主義者。
戦時中は病気の伯父貴に代わって、飛行機の部品を作るよ
うな軍需工場の工場長をしていました。知り合いがみんな
「もうこの戦争は負けるんだからやめろ」って言うのに、
昭和20年(1945年)になっても銀行からカネ借りて投
資したりして。話を聞いていると、親父は世界情勢がどう
こうということを認めたくなかったんですね。「戦争は俺
がやってることじゃない。商売としては今、客がいて注文
があるんだから、それに応えて作れば儲かる」ということ
でやったんだと。だから全然、後悔もしてないですよ。大
局観なし。
戦後は当然のごとく、軍需工場なんてやっていられない
から、残ったジュラルミンの素材で、すぐポロッと折れる
ようなスプーンだとかの、いい加減なものを作ってました
が、物資がない時代なので飛ぶように売れてました。それ
を一気に作って売り切った売り上げを分けて、できたばっか
りの労働組合を説得して見事に会社を解散したんです。そ
の後は工場だけ残ったから、そこでダンスホールをやった
りしていました。最初の1年ぐらいは人が来たけれど、宇
都宮からも汽車に乗らなきゃ行けない鹿沼というところだ
ったから、しばらくしたら、人も来なくなって潰れました。
それで東京へ出てきたんです。ですから、僕はおふくろと
親父がブルースを踊ってるのも見ています。僕が高校生に
なった頃、平然と「おまえ、踊りも踊れないのか?」とい
うような父でした。
戦争前、昭和の10年(1935年)とか、世界恐慌で不景気
だったと言っているけど、実はその時期が映画の全盛
期だったりもしたんです。要するに仕事があってお金を持
っていれば、デフレだから楽しくやれたんです。「いや、
もうあの頃はほんとよかったよ」と親父も言ってました、
もちろん東京の一部分のことだったかもしれませんが。
そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。「ス
ターリンは日本の人民には罪はないと言った」それでおし
まいです。僕は「親父にも戦争責任はあるはずだ」と言っ
て、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全
然なかったようです。戦後もすぐアメリカ人と友人になっ
て「家に遊びに来い」と言うような人でしたから。「アメ
リカのほうがずっといい。ソ連は嫌いだ」って言ってまし
た。何でソ連が嫌いなんだと言ったのかは知らないけど、
自由がないのが嫌だったのだと思います。本人は自由にや
ってましたから(笑)。

僕が日本を見直したのは、30代になってから

今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、
もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわ
けですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのか
と思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさず
に済んでいたら、何か変わったんだろうかと思います。日
露戦争が終わった時に、日本は遼東半島についても「これ
はやっぱり中国のものですから返しますよ」と言わなきゃ
いけなかったんです。そういう発想は日本の中に欠片もな
かった。帝国主義の時代ですから世界にもなかったと思い
ますが。
中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ち
ょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世
界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、
ということを抜きにして、日本だけが悪人ということでは
ないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけ
なのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「お
まえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行
った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威
張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。
そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。
そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いた
くなかったんです。それで「祖国の灯のために戦わん」
とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいい
のにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかと
いえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりに
も自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何
かあるんじゃないか」と思っていたんです。
僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッ
パへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほ
んの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、
帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が
好きかということがよくわかったんです。人がいなければ
日本はものすごくきれいな島だと思った。日本の国や日の
丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴
らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏で
あるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊
かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森が
あって、それが人間の作った森だということなどがわかっ
てきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだという
ことが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです。
これも半藤さんの受け売りですけれど、日本の近代の歴
史は40年ごとに区切られる。1865年の開国から40年で
日露戦争に勝った、巨大な借金を残して。その後、40年か
かって軍閥政府が国を亡ぼした。そして、1945年から
1985年ぐらいまでの40年間は、経済成長をやってうま
くいったように見えた。バブルが弾けた後は、どうしてい
いかわからないまま没落していく40年になっている。半藤
さんの意見が正しければ、40年間失われるんだから、「失
われた20年」どころじゃなくて、あと20年ぐらいは失われ
る(笑)。
歴史ということで言えば、堀田善衞さんは「歴史は前に
ある。未来は背中にある」と言っている。だから、僕たち
に見えるのは目の前にある昔のことだけです。日本の軍閥
の歴史を見たくないのはわかります。だけど、日本という
国で政治家をやるのであれば、そのぐらいのことについて
は教育を受け、自分で知ろうとしなかったら国際的に通用
しないですよ。
これだけ嘘をついてきたんだから、つき続けたほうがいい

憲法を変えることについては、反対に決まっています。

選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさ
くさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えような
んて、もってのほかです。本当にそう思います。
法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうする
というのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺で
す。やってはいけないことです。国の将来を決定していく
ことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映し
たものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてこ
とは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとし
た論議をしなければいけない。
それなのに今は、ちょっと本音を漏らして大騒ぎを起こ
すと、うやむやに誤魔化して「いや、そういう意味じゃな
いんだ」みたいなことを言っている。それを見るにつけ、
政府のトップや政党のトップたちの歴史感覚のなさや定見
のなさには、呆れるばっかりです。考えの足りない人間が憲
法なんかいじらないほうがいい。本当に勉強しないで、ち
ょこちょこっと考えて思いついたことや、耳に心地よいこ
としか言わない奴の話だけを聞いて方針を決めているんで
すから。それで国際的な舞台に出してみたら、総スカンを
食って慌てて「村山談話を基本的には尊重する」みたいな
ことを言う、まったく。「基本的に」って何でしょうか。「お
まえはそれを全否定してたんじゃないのか?」と思います。
きっとアベノミクスも早晩ダメになりますから。
もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいか
にもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍
にしないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当に
くだらなくなるんだから。今、自衛隊があちこちの災害に
出動しているのを見ると、やっぱりこれはいいものだと思
います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。イラク
に行かざるを得なくなっても、一発も撃たず、ひとりも破壊
せず帰って来ました。僕は立派だったと思います。湾岸
戦争後にペルシャ湾に掃海艇を出さざるを得なかったけ
ど、機雷のなさそうな海域を黙々と掃海して、小さな船で
す、大変だったと思いますが、静かに帰って来ました。僕
はだまっていましたが、感動していました。もし本当に戦
火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考え
て、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、
とにかく自衛のために活動しようということにすればいい
んです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を
出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国
の人たちは国際政治に慣れてないからすぐ手玉に取られて
しまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだま
しだと考えます。
かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたこ
とは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってる
んだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違
うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないで
す。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃ
いけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」っていうの
がやっぱり正しいと思うんです。だからくだらないと思うけど、
最新式の戦車ぐらいは多少造っておけばいいんですよ。本
当はガンダムでも造って行進させりゃいいんじゃないかと
思っているんだけれど(笑)。「実際の能力は秘密だから白
状しない」とか言って、これは冗談です。
とにかく、今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続
けたほうがいいと思ってます。整合性を求める人たちはそ
うすることで「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのか
もしれないけれど、悪かったんですよ。それは認めなきゃダ
メです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だ
から、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。領土問
題は、半分に分けるか、あるいは「両方で管理しましょう」
という提案をする。この問題はどんなに揉めても、国際司法
裁判所に提訴しても収まるはずがありません。かつて日本
が膨張したように、膨張する国もあります。でも、その度に
戦争をするわけにはいかない。そんなことよりも、今は、日
本の産業構造を変えていこうというまじめな取り組みをす
べきだと本当に思いますよ。

こんな原発だらけの国で戦争なんかできっこないじゃないですか。

中国が膨張しているのは中国の内発的な問題です。そして、
中国内の矛盾は今や世界の矛盾ですから、ただ軍備を増強したり、

国防軍にすればけりがつくなんていう問題じゃないと僕は思います。

大事なのは、産業構造をどうするかということ
法治国家として人間の権利を守るというのは、とても大
事な日本国憲法の柱ですが、歴史学者の堀米庸三さんなど
は、日本にはもともと基本的人権の根拠になる思想がない
と書いています。世界的にそう言われているから「基本的
人権」と言うけれど、その発想は自分たちの中にはないと。
では、どうするかと考え、堀米さんは絶命前に「仏教の一
切衆生悉有仏性という考え方で説明できる」と言っていま
す。万物仏性ですね。それに対して司馬RYOUTAROUさんは
「鎌倉武士の「名を惜しむ」という考え方で説明できる」と
言っているのだけれど、これはちょっと無理があるなと
思います。堀田善衞さんはまた、全然違う考え方です。ただ、
日本の伝統の中に根拠となる思想がなくても、やっぱり基
本的人権よりいい考え方はないんだと思います。東のはず
れにある国として、そういうものなしにやってこられたけ
れど、世界化、国際化する時には、共通の言葉を持たなき
ゃいけない。人権という考え方を輸入せざるを得ないんで
すよ。それを自分たちの文化的な伝統や色々なものの中に
なんとか見つけなきゃいけないんです。
前にも言いましたが、今、はっきりしなきゃいけないの
は、産業構造をどうするかという問題です。「自分たちの
食うものや着るもの、住むものは自分たちで作ろう」とい
う思想を持たずに、ただ消費して、あとは全員がサービス
業みたいな、そんな国にしたってしょうがないし、うまく
いくわけがないに決まってます。働いて数字だけもらって
きて、それでいろいろ買ったり使ったりしてると、いろん
な実感がどんどん遠のく。実感を手に入れようと少しずつ
努力する人たちもいますけれども、そういう人たちは一定
量しか出てこないから、実際には仕事に追いまくられてく
たくたになって帰って、見ているのはテレビやメールだけ
と、わけのわからないことになってしまってます。
要するに今の世界中を覆ってる、このマーケット中心の
やり方というのはダメなんです。何で僕らが3本100円
のバナナを食えるのか。自国では誰も作っていないような
服を平気で着て、捨てて、それがおかしいんですよ。そん
なことしていたらろくな目に遭うはずがない。日本はある
時期までは、娘や息子たちのために母親が着るものを縫っ
ていたけれど、今は針と糸も知らないお母さんたちがいっ
ぱいいる。火も知らないでしょう。亭主がタバコを吸わな
かったらライターもないしマッチもない。そういう人間が
無事にこの世界で生きていけると思いますか。無理ですよ。
縄で縛ることもできない。でも、そうなってくると、

「徴兵制をやればいいんだ」というようなことを言うくだらない輩が出てくるんです。

その人たちは僕より下のはずだから自分が
徴兵されてひどい目に遭ったことのないはずの人たちで
す。そういう人たちには、50歳でも60歳でも「自分がまず
行け」と言いたいです。行きたくないなら、自分の息子を、
息子がいなかったら孫を送れ。そうすれば、徴兵制という
ものが何だかわかるから。
「自分はちゃんとしているけれど、他の人はちゃんとして
いない」という発想は捨てろと。自分がちゃんとしている
なら、そのくらいはみんなちゃんとしてるんだと思ったほ
うがいい。

徴兵制度というのは最低ですよ。

韓国でも、徴兵制度がどれほど若者を荒ませてるかということです。
鉄砲の数だけ並べて行進していきゃいいってもんじゃないん
だから。戦争のこと考えても、こんなに立て込んだところ
で戦争やったらどうするんですか。戦争できる国じゃない
です、日本は。
今流行っていることはやるな
憲法は目標であって、条文をよくしたら貧乏人がいなくなる
か、そんなことあり得ない。でも、戦後の日本は、
その憲法に守られながら行ってきた経済建設のお陰で、他
の国々の人々から収奪したお陰もあるかもしれないけど
も、飢えて絶命している人を見かけることなどはほとんどな
い国になれました。もし、健康保険制度がなかったら、医
者にかかれない人がものすごくいっぱい出てくると思うん
です。アニメーションの関係者はほとんど歯医者さんにか
かれないでしょう(笑)。本当にある時期までは、戦後立
てた目標を実現しようと、公平な社会をつくろうと、右翼
の政治家たちも随分やってきたと思いますよ。
それが、経済的にもうこれ以上は無理となると、「この
制度はいけないんじゃないか」とか、「生活保護制度がい
けないんじゃないか」とかいろいろ言う。どんな制度でも
悪用する人間は必ず現れますから、それを例にして潰すの
は間違いです。ただ、どこの地方自治体も財政は硬直化し
てます。福祉関係だけでにっちもさっちもいかなくなって
いる。それは感じます。僕が住んでいる所沢の財政支出を
見ていても、これはすごそうだなと思います。だから、ど
っかでずるずるずるっと貧乏になっていかざるを得ないん
だと思います。それはもう、そういうことだからしょうが
ないですよ。
なので、将来の希望とかではなく、今やってる仕事が
おもしろいとか、友人とホッとするいい時間を持つだとか、
好きな亭主の顔見たらうれしいとか、これから、人はそう
いうことで生きていかないといけない。将来の保証なんか
ない。こんなこと言っても何の励ましにもならないけれど
(笑)。でも、本来人間はそうして生きて来たんです。
僕は仕事場の隣に保育園を作ったんですが、これは本当
によかった。いちばんよかったのは僕にとってなんです。
チビたちがぞろぞろ歩いてるのを見ると、正気に戻らざる
を得ないんです。この子たちがどうやって生きていくのか、
と考えたら、それは暗澹(あんたん)たるものだと思うけれど、
じゃあ、生まれてこなければよかったのかって、そんなことは
言えない。やっぱり祝福しなきゃいけないし、実際、祝福でき
る。だから「なんとかなるよ」と言うしかないんですよ。
人口自体は減ってもいいんです。日本の適正人口は
3500万人ぐらいだと思います。農業技術の進歩も含め
ると、もう少し養えると思うんですけど、5000万人は
無理だと思います。それなのに今は1億人以上いるから、
アニメーションなんかが成り立ったんです。マーケットが
小さいと成り立たないですから。人口が減っていくから、
今後はアニメーションも成り立たなくなりますよ(笑)。
でも無理ならやらなくていいんです、僕はそう思ってます。
いつまでも「巨人軍よ永遠なれ」とか、ちゃんちゃらおかしい。
「ジブリよ永遠なれ」もありゃしないです。鈴木さんがこけたら
全部絶命しますよ。鈴木敏夫さんの腰がこけたら全部
おわりです(笑)。
最後に一言だけ言うとすれば、「流行っていることはや
るな」ということ。アニメーションもそうだけれど、流行
ってるものを追いかけたら、もう間に合わない。今、みん
な口を開けば「不安だ」って言うけれど、「じゃあ、前は
不安じゃなかったの?」と聞きたくなるぐらい、実は状況
はそれほど変わっていないと思います。健康で働ければい
い。働く場所がなければ、自分で作りゃいい。不安が流行
ってるから不安になる。だから、流行ってることはやらな
いほうがいいです。(談)
(映画監督 みやざき・はやお)


無断転載オッケー! 


http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_53&uid=14624&fid=14624&thread=1000000&idx=1&page=11&number=10875


宮崎駿「憲法を変えるなどもってのほか」熱風 全文


宮崎駿 憲法を変えるなどもってのほか

もう少し早く生まれていたら軍国少年になっていた

僕は1941年生まれですが

宮崎駿 僕が4歳の時に戦争が終わってますから

宮崎駿 徴兵制度というのは最低ですよ


◎改正憲法を変えるなどもってのほか - 宮崎駿

・もう少し早く生まれていたら軍国少年になっていた


 僕は1941年生まれですが、日本国憲法ができた時の記憶はないですね(編集部注:日本国憲法公布は1946年)。それよりも、子どもの頃は「本当に愚かな戦争をした」という実感がありました。実際、日本軍が中国大陸でひどいことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そういう話を間接的にではあっても何度も聞きました。同時に空襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。伝聞も含め、いろんなことを耳にしましたから、馬鹿なことをやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が嫌いになりました。


僕が4歳の時に戦争が終わってますから、6つ歳上の高畑勲監督や、3つ歳上の女房とは、戦後の経験がちょっと違いますね。ただ空襲は覚えていますし、自分の街がもえるのも見ています。負けたという屈辱感だけはありました。戦後、アメリカ人がいっぱい来て、それを取り囲んでみんなが見物している。でも僕はアメリカ人からチューインガムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできない、そう思うような子どもでした。


 今で言う、戦記物のようなものもずい分読みました。僕が子どもの頃に出された本には太平洋戦争について「ものすごく反省している」とか「本当はこうだった」みたいな話が多かったです。鉄砲を撃つ仕事だけではなく、たとえばレーダーにしても、どれほどいい加減なレーダーだったかということや、一生懸命努力したのに全部無駄になってしまったというようなことを、いろんな分野の人間たち、決してヒーローでない人間たちが書いたものが、ずい分出版されたのです。


 景気のいい話なんて本当にありませんでした。軍艦が沈められた後に、乗員たちが漂流してどうやって助かったかなんていうような話も含め、子どもながらにも「実際情けない戦争だったんだ」という気分だけはとてもありました。後にロバート・ウェストールが書いた『〝機関銃要塞?の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。ウェストールのほうが僕よりも年上かな(編注:1929年生まれ)。彼は63歳で死んじゃいましたが。


 僕は彼の本を読んで、自分がどういう質を持っているかということに気づきました。僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬんだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。さらにもっと早く生まれていれば、志願して、戦場で慌ててすぐに死んでしまうような人間です。あの当時は、本当の戦争というのは何か、がわかった時には死ぬ時だっていうような時代だったと思います。もしかしたら、幸か不幸か僕は目が悪かったので、特攻には志願できないので、宣伝の絵とかマンガなんかを描かされていたかもしれなかった。


父は戦時中飛行機の部品を作っていた
 そんな子ども時代の戦争の記憶ですが、世の中の様相が、いわゆる戦時下のような状態になるのは、昭和19年(1944年)以降、国全体がヒステリックになってからです。ただ、うちの親父は現実主義で、ニヒリストで「天下国家、俺は知らん」というような人物でしたから、親父の話だけを聞いてると、また全然違いました。


 親父は関東大震災の時に、墨田区にあった陸軍被服廠跡という、人がいちばん死んだところを逃げ回って生き残った人間なんです。まだ9歳だったのに妹の手を引いて逃げたというのが自慢でした。戦時中は東京大空襲の翌日に、親戚の安否を尋ねて東京に入ってるんです。だから、二度の死屍累々を見ています。

 
 戦争前、昭和の10年(1935年)とか、世界恐慌で不景気だったと言っているけど、実はその時期が映画の全盛期だったりもしたんです。要するに仕事があってお金を持っていれば、デフレだから楽しくやれたんです。「いや、もうあの頃はほんとよかったよ」と親父も言ってました、もちろん東京の一部分のことだったかもしれませんが。そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。「スターリンは日本の人民には罪はないと言った」それでおしまいです。僕は「親父にも戦争責任はあるはずだ」と言って、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全然なかったようです。戦後もすぐアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と言うような人でしたから。「アメリカのほうがずっといい。ソ連は嫌いだ」って言ってました。何でソ連が嫌いなんだと言ったのかは知らないけど、自由がないのが嫌だったのだと思います。本人は自由にやってましたから(笑)。


・僕が日本を見直したのは、30代になってから


 今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思います。日露戦争が終わった時に、日本は遼東半島についても「これはやっぱり中国のものですから返しますよ」と言わなきゃかけらいけなかったんです。そういう発想は日本の中に欠片もなかった。帝国主義の時代ですから世界にもなかったと思いますが。


 中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ちょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。


 そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いたくなかったんです。それで「祖国の灯のために戦わん」とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいいのにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかといえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりにも自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何かあるんじゃないか」と思っていたんです。
 

 僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッパへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほんの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が好きかということがよくわかったんです。人がいなければ日本はものすごくきれいな島だと思った。日本の国や日の丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏であるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森があって、それが人間の作った森だということなどがわかってきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだということが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです。

 これも半藤さんの受け売りですけれど、日本の近代の歴史は40年ごとに区切られる。1865年の開国から40年で日露戦争に勝った、巨大な借金を残して。その後、40年かかって軍閥政府が国を亡ぼした。そして、1945年から1985年ぐらいまでの40年間は、経済成長をやってうまくいったように見えた。バブルが弾けた後は、どうしていいかわからないまま没落していく年になっている。半藤さんの意見が正しければ、40年間失われるんだから、〝失われた20年?どころじゃなくて、あと20年ぐらいは失われる(笑)。歴史ということで言えば、堀田善衞さんは「歴史は前にある。未来は背中にある」と言っている。だから、僕たちに見えるのは目の前にある昔のことだけです。日本の軍閥の歴史を見たくないのはわかります。だけど、日本という国で政治家をやるのであれば、そのぐらいのことについては教育を受け、自分で知ろうとしなかったら国際的に通用しないですよ。


・これだけ嘘をついてきたんだから、つき続けたほうがいい


 憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。本当にそう思います。法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺です。やってはいけないことです。国の将来を決定していくことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映したものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない。

 それなのに今は、ちょっと本音を漏らして大騒ぎを起こすと、うやむやに誤魔化して「いや、そういう意味じゃないんだ」みたいなことを言っている。それを見るにつけ、政府のトップや政党のトップたちの歴史感覚のなさや定見のなさには、呆れるばかりです。考えの足りない人間が憲法なんかいじらないほうがいい。本当に勉強しないで、ちょこちょこっと考えて思いついたことや、耳に心地よいことしか言わない奴の話だけを聞いて方針を決めているんですから。それで国際的な舞台に出してみたら、総スカンを食って慌てて「村山談話を基本的には尊重する」みたいなことを言う、まったく。「基本的に」って何でしょうか。「おまえはそれを全否定してたんじゃないのか?」と思います。きっとアベノミクスも早晩ダメになりますから。

 もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当にくだらなくなるんだから。今、自衛隊があちこちの災害に出動しているのを見ると、やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。イラクに行かざるを得なくなっても、一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました。僕は立派だったと思います。

 
 とにかく、今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続けたほうがいいと思ってます。整合性を求める人たちはそうすることで「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。
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