ポコポコちゃんのブログ
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日本軍は私たちを守ってくれなかった!日本軍は食料強奪し住民を盾にした!軍隊は守る守る詐欺師集団

教訓!


①軍隊は形勢が悪くなると強盗になって国民の財産や命を奪う


②集団的自衛権をもっている韓国の場合
徴兵を拒否すると財産没収刑務所行きとなる


徴兵制のある国
http://matome.naver.jp/odai/2134975202634429601


③自国民を大虐殺した韓国の李承晩(イ・スンマン)(リ・ショウバン)

1948年 済州島「四・三事件 30,000人虐殺
1948年 麗水順天反乱事件  5,000人虐殺
1950年 保導連盟事件    350,000人虐殺
1950年 大田刑務所事件    1,800人虐殺 
1951年 居昌事件       8,500人虐殺
1951年 国民防衛軍事件 100,000人虐殺
保導連盟事件はリストアップされた共産主義者の疑いのある人物を片っ端から処刑
いまだに山を掘り返すと人骨がゴロゴロ出てくる
国民防衛軍事件もすごい
北朝鮮軍と戦うために集めた義勇軍の米を横領して大量餓死させる
戦時中にもかかわらず横領した米で飴工場を作って儲けようとしたんだが発覚して部下に責任をなすりつけて銃殺
自分は大量に稼いだ金を持ってハワイに逃亡
あらゆる悪行を日本になすりつけ90歳に至るまで悠々自適に余生を送る
ある意味究極の朝鮮人


国民を守らなかった日本軍はたぶんこいつらだ↓
■安倍小泉麻生朝鮮人一族らは中国侵略&麻薬密売
http://alternativereport1.seesaa.net/article/294397057.html

http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasennosyougen/syougen29.html
守ってくれなかった日本兵
hb4.seikyou.ne.jp/.../okinawasennokioku/okinawasennosyougen/syougen29.html?キャッシュ
日本軍は私たちを守ってくれなかった ... 同年三月二十四日頃、沖縄海上に現われた米軍艦隊から艦砲射撃が開始された時、私たち家族は、取る物も取りあえず、わずかばかりのいもと ...
日本兵は私たちに食糧を要求しました 私たちは持っていたわずかないもとみそを全部日本兵へ差し出しました。


★ちひろの沖縄旅行記
www.fsinet.or.jp/~chihiro/travel/okinawa/okinawa_island2.html?キャッシュ
爆音をたてて飛び交う米軍用機、
沖縄本島のかなりの割合を占める米軍基地、第二次世界大戦時に唯一の地上線の舞台になり24万人もの犠牲 住民を守るはずの日本軍は、少しも守ってくれなかったのだ。
住民は、摩文仁の丘の断崖から海に飛び込んでいた。献身的な看護活動に当たっていたひめゆり学徒隊は、米軍から狙い撃ちにされ、ガス弾を投げられたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。日本軍が渡した手榴弾を防空壕のなかで爆発させたりもした。
http://www.fsinet.or.jp/~chihiro/travel/okinawa/okinawa_island2.html

★この人に聞きたい|マガジン9
www.magazine9.jp/interv/ota/?キャッシュ
編集部  民間人を“盾”にしたわけですね。
大田  はい。文字通り盾にされたわけです。それで、日本兵の数以上のたくさんの住民が犠牲になりました。ですから沖縄戦は、“日本本土の盾”であり、沖縄住民は、“日本兵の盾”にされたのです。
... これまで威張っていた将校たちが、「学生さん、これをあげるからどこかへ連れていってくれ」と親父の形見だという日本刀や通帳を出し、錯乱状態で泣き出す人も出ました ...


▼沖縄の記憶 - So-net
www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/hon045.html?キャッシュ
そして日米安保条約がいつのまにか日米(軍事)同盟なるものに変質した事態の重要性にすら気づかないふりをしている。 考えてみれば、日本の ... 日本人ではないだろうか。いや、それどころか日本人はどこかで米軍がわれわれを守ってくれているとさえ思いこんでいる。 ...
日本軍は「軍官民共生共死」の合言葉のもと、住民を保護するどころか、前線に追い立て、集団自決を強い、時に殺害することも辞さなかった。沖縄戦で、沖縄県民は...
http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/hon045.html

☆<沖縄戦>「今の命、虫のおかげ」 おばぁの飢餓体験伝える
6月22日(日)13時23分配信
本土に戻った後も関西在住の沖縄出身者から体験を聞き取る活動を続ける玉城裕美子さん=大阪市中央区で高尾具成撮影
京都府京田辺市の玉城(たまき)裕美子さん(45)は、沖縄県読谷村(よみたんそん)の村史編さんに携わり、沖縄戦などの証言収集を続けている。数々の証言から浮かび上がるのは、戦火を逃れ、山中に避難した住民を襲った「飢え」の恐ろしさだった。多くが息絶え、生存者はカタツムリや虫を食べてしのいだ。「『命をつないでくれた』と今も自然への感謝を忘れないおばぁたちの思いや、戦争のおろかさを伝えたい」。23日の「沖縄慰霊の日」に京田辺市の小学校で子供たちに語る。【高尾具成】
【軍刀振り上げ母子追い出す】沖縄戦 元兵士の悔恨
玉城さんの祖母は戦前、沖縄から本土に渡った。玉城さんは京都府生まれの「沖縄3世」で、沖縄にルーツのある男性と結婚。1995年春から夫の実家がある沖縄本島南部で暮らし始めた。


95年7月、読谷村の村史編集室嘱託職員に採用され、同村に転居。以後12年間、戦争体験者の証言に耳を傾けた。難解だったウチナーグチ(沖縄方言)の単語帳を自作し、記録を続けた。
読谷村の資料などによると、米軍が沖縄本島へ上陸した45年4月以前から中・南部の高齢者や子供ら推定約3万人が北部のヤンバル(山林地帯)へと逃げ始めた。疎開した同村民5429人のうち657人が死亡。その7割以上が栄養失調や病気が原因だった。「ヤンバルでの飢餓は(旧日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる)6月23日以降も続いた」と玉城さんは言う。
家族らと山中に避難した看護師の女性は飢餓体験を語った。「誰かの畑の芋を無断で掘った。『命をつなぐためなんです』と畑の神様に手を合わせた」。カタツムリを炊いて口にし、木の葉を食べて下痢が続いた。山を下り、米兵に連れて行かれた収容所でも悲惨さは変わらなかった。「子供たちは栄養失調で、皮膚に黒い斑点ができ、肉が腐っていた。(食べ物を)かむ力もなくおなかがふくれ上がり、ばたばたと亡くなった」
「抱いたまま息絶えた子に子守歌を歌い続けた」と語ったおばぁは体験のつらさから村史への記録を拒んだ。別のおばぁと一緒に避難経路をたどった際には「ヤギが食べる草が私たちも食べられる草の基準だった」と聞いた。
夫の転勤で京田辺市に転居した今も、村史編集室調査員として関西に住む沖縄の人たちの証言を集める。「爆撃を免れたのに、なぜ飢餓で亡くならなければならなかったか。沖縄戦の壮絶さは避難民の体験証言の中にもある」と語る。2007年に証言を題材にした絵本を出版したほか、学校などで子供たちに証言内容を伝えている。
あるおばぁの言葉が忘れられない。庭いじりをしながら「虫を殺すことはしないの」と植物に付いた虫を手のひらに乗せた。「虫のおかげで命をつないだわけさぁ」
「戦争で怖いことって何だと思う?」。23日は沖縄の楽器「三線(さんしん)」や歌も交え、児童らにこう語りかけるつもりだ。


結論!!

国民の命を守ってくれるのは虫や草や畑の芋なのだ
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コメント

守ってくれなかった日本兵の体験者の孫です。


日本人の侵略精神に満ちた民族性には今現在も呆れるばかりです。
そろそろ沖縄を支配するのやめてほしいと思います。

沖縄は人も文化も風習も、日本ではないのですから。
祖父母からそう教わりました。
[2015/04/14 23:42] URL | ナカユウジ #- [ 編集 ]

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