ポコポコちゃんのブログ
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ウンコキリスト司馬遼太郎と梅毒ハゲ坂本竜馬は極悪人!


★中江兆民はかくかたりき
彼(坂本竜馬)の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりきと

★坂本龍馬は寺田屋で役人をピストルで2名撃ち殺していますので幕府関係にしたら全国指名手配の極悪人
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14152286489

★『千里駒後日譚』から
長州の伊藤助太夫の家内が阪本さんは、平生きたない風をして居った顔付も恐ろしい様な人だった

★司馬遼太郎 - Wikipedia
生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社

★司馬遼太郎記念館
所在地: 〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
1999年11月橋下徹いとこによる東大阪金属バット殺人事件

★ちなみに
石原潔は不潔な性病野郎で死の商人山下汽船に所属していた(てっぺん野郎より)
死の商人商船三井は元石原朝鮮人の山下汽船
死の商人商船三井は石破か茂朝鮮人の出身である三井商事の商船部門
石原オウム慎太郎の父石原潔は不潔な性病野郎で軍用搭載機銃をつくっていた(てっぺん野郎より)

★明治天皇(寅之祐朝鮮部落同和)は脳梅毒で大正天皇は脳膜炎!
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-1186.html

★ヒロヒトラーはイギリス国陸軍大将
戦争言い出しっぺヒロヒトラーとヒトラーと近衛文麿!チョビひげ軍団!
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-1184.html

坂本龍馬は、梅毒におかされていたという説がありますが、真実は?
梅毒とは何世紀も前からある性病のひとつで、性行為やキスによって感染します。症状の一つに、髪の毛が抜け落ちるということがあります。江戸期の日本では吉原などを代表とする遊郭を中心に、整備された街道を伝わり、またたくまに伝播したと言われております。
そもそも龍馬が梅毒だとされるのは、同郷の中江兆民が言っていたらしいということです。「らしい」というのは、本人が書き残したのではなく、兆民の弟子である幸徳秋水の文章に次のようなものがあるからです。
===== 以下、幸徳秋水著「兆民先生」の引用 ======
「当時長崎の地は、独り西欧文明の中心として、書生の留学する者多きのみならず、故坂本竜馬君等の組織する所の海援隊、亦運動の根拠を此地に置き、土佐藩士の来往極めて頻繁なりき。先生曾て坂本君の状を述べて曰く、豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ、予は当時少年なりしも、彼を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざるの予も、彼が純然たる土佐訛りの方言もて、『中江のニイさん煙艸を買ふて来てオーセ、』などゝ命ぜらるれば、快然として使ひせしことしばゝなりき。彼の眼は細くして其額は梅毒の為め抜上がり居たりきと。」

司馬遼太郎 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/司馬遼太郎
司馬 遼 太郎(しば りょうたろう、本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
記者時代
戦地からの復員後、生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた[4]。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらいできるだろう」と誘われ、英語がまったくできないにもかかわらず「できます」と応じて京都支局に入る。

司馬遼太郎記念館
所在地: 〒577-0803 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
1999年11月橋下徹いとこによる東大阪金属バット殺人事件

キリストキリシタン基本概念
ザビエルも極悪ユダヤ人である!キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った!
「お前、ザビエルを悪く言うなよ。キリスト教布教で頑張った人だろ。」まあ、教科書にはそう載ってる。白人はいい人たちだとな。バカいってんじゃねーーキリスト教布教の狙いは、日本人を堕落させて、日本人を奴隷にすることが目的だ。当時、インディオたちが大虐殺されたようにな。
ザビエルも極悪ユダヤ人である!キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った!

『司馬遼太郎が語る 7 キリスト教文化と日本』
2015/02/14(土)
司馬遼太郎の講演をCD化した作品の第7作で、同志社大学での講演を収録している。
同志社大学の設立者は一昨年のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも知られる新島襄で、クリスチャンだった新島は?儻不羈(てきとうふき)という、自由や独立を重んじた言葉を遺言に残した話をしている。

これは明治時代によく使用された言葉のようで、大学設立者として比較されがちな大隈重信(早稲田大学)や福沢諭吉(慶應義塾大学)も似たようなことを言っているという。
同志社大学は「キリスト教精神に基づいて」設立された大学としているが、例えば青山学院大学や明治学院大学、関西学院大学などはミッション系の大学で、他にも聖路加病院やラ・サール高校など多くの施設がキリスト教教団によって設立されているにも関わらず、日本でクリスチャンが増えないことに話が移る。

宣教師として有名なザビエルが、日本人から「神が世界を造ったのなら、なぜ今頃あなた方が布教に来るまで我々は神の存在を知らなかったのか?」と質問されるなど知的レベルの高さに驚いた話を紹介し、その日本人でも理解できないものとして「絶対」があるとする。
この「絶対」とは明治時代に東大で哲学を学び、親鸞の教えをヘーゲル哲学で再構成した清沢満之(きよざわまんし)が使っている言葉で、あるとかないとかを超越した概念のことを指しているようである。

仏教の空(くう、インドでの原義はゼロ)もそうであるように多神教では相対的な概念で説明できることが多いが、一神教では「絶対」という概念が必要であり、これが分からなければ欧米の理解も制限されるようである。
岩波文庫から出ている、読んだことのない古典を何冊か紹介もしていて、ちょっと関心を持った。
司馬氏が聴衆の反応を見ながら話していることが伝わってきて、面白かった。

坂本龍馬はADHDだった? 持病は梅毒、アルコール依存症、肝炎、マラリア ...
https://www.excite.co.jp ? ニューストップ ? 社会ニュース ? 医療
2015/10/01 - 第二次世界大戦後にペニシリンが普及するまで、梅毒の脅威は続く。 さて、土佐では、酒豪、快男児、ガンコ者、気骨のある男を「いごっそう」と持ち上げる。龍馬は、毎日1升5合も鯨飲する酒豪。人並み外れた体力にもの言わせる「いごっそう」だったにちがいない。だが、まだ30代とはいえ、アルコール依存症はもちろん、アルコール性の肝炎、肝硬変、胃炎、腸炎、膵炎などの潜在的なリスクが潜んでいた可能性は十分にある。

坂本竜馬は梅毒だった? - Togetter
https://togetter.com ? カテゴリー ? 学問・教養 ? 歴史
2015/11/09 - 「美酒について」吉行淳之介、開高健対談本に出てくる梅毒由来の天才というのが気になったので、検索してみました。近年、梅毒感染者が増加しているそうです、お気を付けください。

石原裕次郎は悪性の梅毒だったとは、事実でしょうか? - 医者の話に ...
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp ? ... ? 芸能人 ? 俳優、女優
2009/02/23 - 石原裕次郎は悪性の梅毒だったとは、事実でしょうか? 医者の話によると、裕次郎の病気、大動脈・・・・・・病は、梅毒患者の病気で、医学に心得のある物なら誰でも知ってる事実とのことです。また、慶応病院の当時の入院患者の間では、裕次郎の梅毒は外国性病でタチ(舘ではありません)の悪い類だったと、有名だったそうです。では、何故?子供ができなかった美談ばかり、マスコミは報道したのでしょう!教えてください?別に梅毒の報道を、しなくても、美談ばかりの報道は不自然で、不必要では?

【歴史】明治天皇は、やはり大室寅之祐だった。北朝から南朝に戻った。
2017年01月16日(月) 晴れ
以前から、長州藩(現山口県熊毛郡田布施町)に住んでいた大室寅之祐と言う大男が、江戸時代最後の天皇であった孝明天皇の息子であり、本来なら明治天皇になる筈であった睦仁親王とすり替えられて明治天皇になったという説は、ネットで読んで知ってはいたが、やはり、この話は本当だったと確信が持てた。大室寅之祐については、南朝の末裔であるという説も一緒にネットでは流れていたが、一方では、田布施町という町は、元々は朝鮮半島から渡って来た人達が住んでいる集落なので、大室寅之祐も朝鮮の血を引く人間だと言う説もネットで読んだ様な気がする。今回、それが、どちらも間違ってはいないと言う事が感じられた。
http://d.hatena.ne.jp/masuraoo/20170116/1484578427

梅毒のため??坂本龍馬梅毒説?web拍手 by FC2
 曲がりなりにも坂本龍馬サイトを斯く運営していると、時おり質問など舞いこんでくることがあり、先日も「坂本龍馬は梅毒 [1] だったと聞いたのですが、本当ですか?」といった趣旨の質問をメールにてもらった。
 御本人にはすでに解答済みなので問題は事済み、メールが来たこと自体ここでふれるべき要もないのだが、以前わたしも龍馬の梅毒説についてあれこれ調べてみたことがあったのをこのさい思い出し、こちらのコンテンツにまとめ直してみることにした。さっそく以下から本題にはいる。

 まず龍馬が梅毒をわずらっていたとされる説は
●幸徳秋水『兆民先生』

 豪傑は自ら人をして崇拝の念を生ぜしむ。予は当時[幕末期]少年なりしも、彼[龍馬]を見て何となくエラキ人なりと信ぜるが故に、平生人に屈せざる予[中江兆民]も、彼が純然たる土佐訛りの方言をもて「中江のニイさん、煙草を買ふてオーセ」などと命ぜらるれば、快然として使ひせしこと?々なりき。彼の目は細くして其の額は梅毒の為め抜上居たりき

 という中江篤介こと号して兆民の証言に胚胎する。人物評をはじめとして龍馬にたいする印象や観察は、結構な数が現代につたわっているものの、梅毒をわずらっていたとする証言は兆民のこれが唯一無二である。

坂本龍馬写真対比
 菊地明氏は『追跡!坂本龍馬』において、手近にあったという『日本大百科全書』の梅毒条をひき、梅毒に脱毛症があることを確認しつつ、龍馬の写真二種を見くらべ、頭髪の後退を根拠に梅毒説を肯定 [2] する。
 しかし兆民の「其の額は梅毒の為め抜上居たりき」という臨床(見立て)だけで、梅毒説の当否を論じるのには、いささか強引の観がある。
 ここで先に梅毒の脱毛症状について確認しておく必要があるが、私は医者ではないので当然専門的なことはわからない。以下に各種書籍やウェブサイトから梅毒性の脱毛症について引用し、参考にさせていただこう。

●荻野篤彦「医学的見地からの日本の梅毒今昔」から(『日本梅毒史の研究』)
 脱毛症(梅毒性脱毛) 感染後六ヶ月から一年頃にび慢[瀰漫・弥漫、一面に広がること]性に多量に脱毛するか、あるいは後頭部から側頭部にかけて毛の抜け方が不揃いな脱毛班[小単位の脱毛、円形脱毛症など]が多発する。ときに眉毛、腋毛、陰毛も脱毛することがある。

●「梅毒」から(『最新家庭医学大百科』)
 頭髪は全体に抜けやすくなる場合と、虫食い状の脱毛班後頭部にできる場合がある。これらの脱毛もやがてもとに戻る。

●「第二期梅毒」から(ウェブサイト「病気と症状 病気を知る」)
 梅毒性脱毛症は、第二期にみられる発疹です。顕症梅毒[症状の顕われている梅毒]では、梅毒性乾癬[角質細胞が剥落をともなう発疹]とともに、これが重要な症状となっています。全体にまばらに脱毛するびまん型と、側頭部から頭頂部にかけて、つめぐらいの大きさの脱毛部が多数できる小斑状型とがあります。

●「梅毒性脱毛症」から(ウェブサイト「円形脱毛症女性の抜け毛悩み解決」)
 梅毒性脱毛症は、梅毒に感染した第2期(5ヶ月くらい)の患者に起こり直径3ミリから5ミリの円形脱毛症が髪のサイドにできます。虫喰い状に多数できるのが特徴でサイドがびまん性に脱毛する場合もあります。

●「毛髪大百科」から(ウェブサイト「スペラジャパン」)
 第2期梅毒の症状として、眉毛、顎髭、毛髪に脱毛が見られ、特に頭部に生じる脱毛範囲は不規則的で、まるで虫に食われた葉のように見える。

●「性感染症」から(ウェブサイト「大阪府立急性期・総合医療センター」)
 梅毒性脱毛:びまん性と小斑状脱毛がある。小斑状脱毛は、爪甲大から貨幣大の円形、類円形の不完全な脱毛で、虫食い状の脱毛と例えられるように、頭髪がまばらな印象を受ける。

 勝手な解釈にならないよう症状の重複をいとわず様々にひいてみたが、梅毒性の脱毛症とは上掲からつまるところ、側頭部ないし後頭部の小班状脱毛と瀰漫性脱毛 [3]、ということになるだろう。兆民がつたえる臨床とは結局症状がことなっており、言いまわしの違いだと解釈するにも表現には距離がある。

 おなじ幕末期の疾病として馴染みぶかいコレラや麻疹などの急性疾患とちがい、梅毒のような慢性疾患ともなると、他病との合併症や慢性皮膚病などと見立てちがいをおこしやすく、生化学検査(血液検査)のない江戸時代だけに判別も容易・的確とはいきがたい。
 近世、梅毒はたいへんありふれた病気で、当時の診断技術では多分に誤診を含みそうなものの、杉田玄白は『形影夜話』に「毎年千人余りも療治するうちに七、八百は梅毒家なり」と医者としての体験をつたえ、幕末維新期の医師松本良順も「下賎のもの百人中九十五人は梅毒にかからざるものなし」(『養生法』)という。戊辰戦争のさい、官軍の横浜大病院に出仕し治療にあたっていた英国人のウィリアム=ウィリスは、三〇人から四〇人もの梅毒患者が傷病兵のなかにいたことをつたえ、明治はじめ特定疾患用に設けられた病院では、梅毒対応のものが数でダントツにおおい [4]。

 鈴木隆雄氏は自著『骨から見た日本人』で古病理学 [5] のデータをもちい、「いくつかの変数(パラメータ)を変化させることによってその値は一六・五%?七二・六%と大きく変動」するむねを一往ことわりつつ、江戸時代人の梅毒頻度を「五四・五%と」推計する。これは数人に一人レベルのなかば国民病といっても過言ではないだろう。
 これだけ社会に蔓延し慢性化していた疾病にもなると、経験知から多様な一般常識が真偽ないまぜのまま当然形成されていたものと思われるが [6] 、兆民の見立ても細かい症状まで把握していない、梅毒には脱毛症状があるくらいの認識からでた誤りとみたい。

 兆民が龍馬と知り合ったとおぼしい慶応三年(1867年) [7] は結果的に龍馬の最晩年にあたり、当時の龍馬評としては

●『千里駒後日譚』から
 長州の伊藤助太夫の家内が阪本さんは、平生きたない風をして居った顔付も恐ろしい様な人だったが、此の間は、顔も綺麗に肥え、大変、立派になって入らっしゃった。吃度、死花が咲いたのでせう、間もなく没くなられたと云ひました。

●『随聞随録』から
 才谷は色黒満面よしあざ [8] あり。惣髪にて羽二重紋付羽織袴(白き様なる縞の小倉袴)、梨地大小、髪うすく柔和の姿なり。

梅毒の主要症状(必ずしも全て発症するわけではなく、一つ二つや無症状の場合も少なくない)
などが容姿にも言及があり参考になる。

 伊藤家の家内がいう「顔付も恐ろしい様」だったとは、龍馬が下関の本陣伊藤家に長期滞在していた慶応三年二?三月ごろの印象 [9] と思われ、龍馬が病気療養中だったことの影響だろう。
(菊地氏の『追跡!坂本龍馬』はこの療養期を梅毒第二期における免疫力低下 [10] にもとづく体調不良のためとみており、梅毒説を肯定する補足としているのだが、兆民の見立てが梅毒性脱毛と症状が一致しないのは既記のとおり。体調不良はそれこそ梅毒に限る話しではないので、この補足は結論ありきの逆説にみえる)

 また「此間」とは、後文の「間もなく没くなられた」という点から推して、伊藤家にお龍をたずねた八月中旬ごろのものだろうし、『随聞随録』のほうは九月下旬の土佐帰郷時の観察による。受けた印象はおそらく、さきに掲げた慶応三年晩夏から初冬ごろまでに撮影されたとおぼしい龍馬写真のものとおおかた同じものだろう。この写真からは壮年性脱毛ならまだしも、瀰漫性脱毛をていしているようには見えないし、「惣髪」に結える髪も存在することから、後頭部ないし側頭部に班状脱毛があったわけでもなさそうだ。
 最後にこれは勝手な推測だが、兆民は龍馬の顔にあるアザ・シミ・ホクロ・ソバカスの類いを梅毒疹の一種とみて、頭髪も梅毒のため後退したものと観ていたのではないだろうか。龍馬の顔に特徴的なアザがあったことは、アダ名の「アザ」 [11] や「満面よしあざあり」(『随聞随録』)、また「眉の上には大きな痣[いぼ]が有って、その外にも黒子[ほくろ]がポツポツあ」(『千里駒後日譚』)ったなど、ほかにも多くの証言から確認ができる。

 兆民の評にアザやホクロについて言及がなく、一足に梅毒とだけ述べているあたり、あながち考えられないこともないと思うのだが、これは所詮些事である。

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mark_utarntop.png PageTop
1.mark_utarnhotyu.png 国語辞書から概要をひくと以下のとおり。「代表的な性病。病原体はトレポネマ‐パリズムで、主に性行為により感染し、母親から胎児に感染することもある。約3週間の潜伏期を経て発病し、陰部にしこり・潰瘍(かいよう)ができる(第1期)。3か月ほどたつと全身の皮膚に紅斑や膿疱(のうほう)が出たり消えたりし(第2期)、3年目ごろになると臓器・筋肉・骨などに結節やゴム腫を生じ、崩れて瘢痕(はんこん)となる(第3期)。10年目ごろには脳などの神経系や心臓・血管系も冒され、進行麻痺や脊髄癆(せきずいろう)がみられる(第4期)」(『デジタル大辞泉』)。さらに補足すれば、症状が一々目に見える形であらわれないことも多く、死後の解剖や検査で漸くそれと知れることも珍しくない。くわえて自然に治癒する例も多いので、この説明や年次経過はスタンダードなあくまでも一例である。
2.mark_utarnhotyu.png ただし菊地氏は梅毒に脱毛症がある点にふれるだけで、脱毛の具体的症状まで筆をおよぼしていない。前後の文脈からは症例まで氏が確認しているようには読みとれず、手もとの『日本大百科全書』(昭和62年11月1日初版、小学館)梅毒条にも「そのほか、[梅毒第二期には]梅毒性脱毛症や皮膚の色素が増減する色素性梅毒および梅毒性白班がある」とみえるだけで、それ以上梅毒性脱毛にはふれていない(ただし2001年度版では言及があるのかも知れず、その点は当方未確認)。
3.mark_utarnhotyu.png 具体的に脱毛の諸症状を視覚的に確認したい方は、Googleなどの画像検索サイトで関連用語(「脱毛症」・「びまん性」などなど)をつかい、自己で確認をしていただきたい。ただ生々しい画像もおおいので、その点は御注意を。
4.mark_utarnhotyu.png 新村拓氏編集の『日本医療史』(6.西洋医学体制の確立)によると、明治八年(1875年)に最初三軒が建てられ、六年後の明治一四年には一〇〇件の大台をこえた。他の特定疾患病院が、癩狂病院五軒・脚気病院四軒・癩病院五軒なのにくらべても、その多さがわかるだろう。
5.mark_utarnhotyu.png 発掘された人骨などにのこる変化を調べ、生前の疾患・健康状態・生活様式などを研究する学問。
6.mark_utarnhotyu.png 中島陽一郎氏の『病気日本史』には、「日本でタバコが広まったのは、「そのころコセ瘡という病気が流行し、漢方でも施す術がなかった。ところがタバコを喫む人にはこの煩いがないといわれたので、人々が盛んにタバコを喫むようになった」(『翁草』)といい、このコセ瘡は、ポルトガル人によって伝えられた梅毒であったといわれる」との一文があり、幕末期にもこの俗信が生きていて、なおかつ兆民がこのことを知っていたのであれば、タバコを買いに行かされたこととの関連で、勝手に龍馬を梅毒と推測したのかも知れない。
7.mark_utarnhotyu.png 兆民の長崎遊学は慶応元年のこととされ、龍馬とは三年以前に出会っていた可能性もなくはないのだが、おおっぴらに交流がもてるのは脱藩赦免後とみるのが自然だろう。
8.mark_utarnhotyu.png 岩崎義郎氏の『龍馬・お龍・土佐 土佐語り部の秘録』によると「よしあざ」とは「よみあざ」の誤記で、高知の方言ではソバカスの意味という。
9.mark_utarnhotyu.png慶応三年二月一六日付の書簡に二月一〇日伊藤家帰着の文言がみえ、三月六日付の書簡には「病気ニて引籠」っているむねの伝言がある。「お龍と共に一カ所にこれだけ居続けたのは龍馬の生涯では珍しい記録になる」(『検証・龍馬伝説』)ので、滞在期間が長いこともあって、このときの印象ではなかろうかと私的には推測する。滞在中お龍と歌会に出席したり、巌流島にわたって花火を打ち上げたりしていることから推して、滞在が長引いた背景には体調不良だけでなく、暫く構ってやれなかったお龍にたいする気配りも幾分かあったかも解らない。
10.mark_utarnhotyu.png「[梅毒第二期の]膿疱性梅毒疹は全身状態が不良で抵抗力が抵抗した場合に出やすい」(『日本大百科全書』)、「前駆症状ならびに全身症状として発熱、頭痛(夜痛)、骨痛などを訴えることがある」(『日本梅毒史の研究』)など。
11.mark_utarnhotyu.png「一日、門田[為之助]、大石[弥太郎]に語りて曰く『近頃痣は読書を始めたり』と。痣とは龍馬の異名なり」(千頭清臣『坂本龍馬』)など。
http://ryomado.in.coocan.jp/Sakaryo/SRanec/saryo_anec_ke03h230110.html

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