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【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!

父ちゃん母ちゃんは食料を探し求め帰ってこなかった!
日本軍は沖縄住民の食料を強奪
献身的な看護活動に当たっていたひめゆり学徒隊は、米軍から狙い撃ちにされ、ガス弾を投げられたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた。
結論!!国民の命を守ってくれるのは虫や草や畑の芋なのだ
日本軍は私たちを守ってくれなかった!日本軍は食料強奪し住民を盾にした!軍隊は守る守る詐欺師集団!
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-22.html

避難途中で歩けなくなった老人が「後で迎えに来るよ」と言われながらも置き去りにされた。避難先の山中では虫、カタツムリ、木々の葉を食べ尽くす。食料を巡って避難民と地元住民との諍(いさか)いも。畑でイモに手を伸ばした避難民が泣きつく子どもごと、容赦なく棒でたたかれた。衰弱して骨と皮のようになり、食べ物を消化できずに子どもたちは下痢をした。住民を守るべき日本兵には暴行され、なけなしの食料を強奪された。
 どれも飢餓から来る証言に玉城さんは「空腹すぎて、焼いたカエルやミカンの皮を分けずに一人で食べてしまったと心に傷を残す人もいた」という。
飯田さんは「軍隊は住民を守るどころか、軍隊がいることで戦場になってしまう。(辺野古に)飛行場を造ることはいいことではない。

1941年昭和基地害妖怪岸信介開戦詔書に署名!2015年平成基地害ゴキブリ安倍晋三戦争法案!
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-484.html

昭和基地害妖怪岸信介→戦犯巣鴨の囚人 日本人数百万人を死に導いたとされるウンコリアン安倍晋三のくそ爺 中国侵略麻薬王岸信介 KISHI NOBUSUKE NO.436 SUGAMO PRISON 26MARCH46
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-379.html
戦犯巣鴨の囚人笹川児玉らは中国で3兆円の金ダイアモンドなどを強奪
(児玉ファイル)米諜報部は、略奪物資について総額3兆円にのぼるものと見込んでいた。
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-1079.html
どことなく似ている児玉誉士夫と小島よしお

ちなみに
笹川良一(韓国籍文堯)の子分が児玉松井橋下
▼【皇族暴力団で検索】安倍の先祖は海賊(李要蔵)(岸要蔵)!
東京財団とは、笹川財団=日本財団=東京財団と考えてもよく、日本財団の理事長である笹川陽平氏が顧問として入っている財団です。竹中平蔵が一時期、この財団の理事長を努めていました。
日本会議=統一教会(本部は韓国ソウル設立者文鮮明 )
オウム早川紀代秀は元統一教会信者で元鴻池組

①【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
②【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
③【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
④【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
⑤【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
⑥【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
⑦【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!

2015/06/22 に公開
戦後70年沖縄全戦没者追悼式
安倍晋三 橋下徹 プロ市民
2015年06月23日
https://www.youtube.com/watch?v=N9DgzbMxezE
思ってもないこと言うな。二度と沖縄に来るな!
安倍は、無知無能のかたまりだ。二度と来るな。嫁とナチスごっこでもしていろ。
安倍はさっさと辞職してほしい
アベコベ総理 帰れ!!
安倍総理最低なやつ!
国を破壊することしか考えてないと私は思います。
出ていけ戦争法支持者が
八百長選挙で奪取した偽政権。統一教会反日キムチ安倍鮮三。
日本人なら皆嫌うわな w
嘘つき、戦争屋、偏差値30の安倍晋三塵に帰れ!! 積極的軍国主義者!!
日本国民は命がなくなりますね!!こんなやつが日本の総理をやってることじたい戦没者に\(__)です
米軍万歳の安倍政権
戦没者に対して失礼だよね
行かない方が良い
アメリカのことしか考えていない国賊は日本から出てけ!
二枚舌総理帰れ
この馬鹿総理良く図々しく沖縄に行けましたね。国民に何も説明しない内に平和憲法を改憲し米国にべったり、今時、連合で他国の戦争に参加する国は有りません。安倍晋三豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ。戦争推進者が沖縄県に行くな。

沖縄全戦没者追悼式の会場外で、基地反対などのプラカードを掲げて抗議する人ら=23日、沖縄県糸満市(今仲信博撮影)

沖縄全戦没者追悼式 「安倍は帰れ!」「ふざけんな!」など怒声飛び交う

2017年6月23日 22時18分
ざっくり言うと

23日、糸満市で開かれた沖縄全戦没者追悼式について産経新聞が伝えている
会場周辺では、反基地活動家らが警察官に大声をあげるなどしていたという
「再び沖縄県民は死ぬんだぞ!」「安倍は帰れ!」といった声が飛んだそう

今年も慰霊とはかけ離れた光景が繰り広げられた… 沖縄全戦没者追悼式に飛び交う怒声 「再び沖縄県民は死ぬんだぞ!」「安倍は帰れ!」

2017年6月23日 22時18分
産経新聞
沖縄全戦没者追悼式の会場外で、基地反対などのプラカードを掲げて抗議する人ら=23日、沖縄県糸満市(今仲信博撮影)
写真拡大 (全3枚)

 沖縄県糸満市の平和祈念公園で23日に開かれた沖縄全戦没者追悼式の会場周辺では、反米軍基地運動の活動家らが押しかけ、式典の最中も緊迫した空気が漂っていた。

 毎年のように続く「慰霊」とかけ離れた光景。先の大戦で家族や友人を亡くした遺族の「静かに慰霊をさせてほしい」という思いは、今年も心ない怒声に踏みにじられた。(今仲信博)

 「われわれは沖縄県民のためにやっているのに、それをぶちこわすのか!」

 「警察官が暴力をふるいますよ!」

 23日午前10時45分頃。追悼式会場の入り口近くの交差点で、反基地活動家の男女3人が場所の移動を促した沖縄県警の警察官に大声をあげていた。

 そのうちの一人で、県外から来たという初老の男性会社員は、さらに若い警察官に向かって「再び沖縄県民は死ぬんだぞ。世界中の戦争がここから始まるんだぞ!」と叫んだ。香川県から来た60代の無職男性は記者に対し「あの警察官は制服を着てソフトモードだけど、本質は戦闘服を着てるんだから」と意味不明の持論を展開した。

 炎天の下、交差点には約60人が集まった。「辺野古新基地NO」「すべての米軍基地を撤去せよ」などと書かれたプラカードを手にした参加者が多かったが、戦没者の慰霊とは関係のないものばかり。警察関係者などによると、会場外で抗議活動をしていたのは市民団体「沖縄平和市民連絡会」など複数の基地反対派の団体のメンバーだという。

 団体の盛り上がりがピークに達したのは午前11時5分頃。安倍晋三首相を乗せた車列が反対派の目前を通過したときだった。

 「安倍は帰れ!」
 「ふざけんな!」

車列には割れんばかりのやじが飛んだ。
この後、団体は別の会場で行われる反戦集会に向かった。

 一方で、追悼式は大きな混乱もなく進行した。来賓あいさつで安倍首相が紹介された際に会場の外から男性が何かを叫んだが、男性はすぐに係員らに制止された。

 先の大戦で親族3人を亡くした那覇市の70代の男性会社員は「沖縄の問題は複雑だから、抗議活動をする人たちの主張もよく分かる」と理解を示す。ただ、こうも付け加えた。
「政治と慰霊は全くの別物だ。この場で言うことではない」

産経新聞
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https://daysjapan.net/2017/06/12/%E3%80%8C%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E6%95%99%E8%A8%93-%EF%BC%88%E5%A4%A7%E7%94%B0/

「軍隊は人を守らない」という沖縄の教訓 (大田昌秀元沖縄県知事 ) ? 世界 ...
https://daysjapan.net/2017/06/12/「軍隊は人を守らない」という沖縄の教訓-(大田/

2017/06/12 - 沖縄戦を体験し、基地のない沖縄を、戦争を二度としない日本を守るために尽力されてきた元沖縄県知事の大田昌秀さんがお ... 日本兵の死者は1日に1000人を超えるよう になり、飢えも激しく、負傷している大田さんも海岸を腹這って食料を求めた。 ... 鉄血勤皇隊として犠牲になった沖 縄師範学校の生徒と職員を祀った慰霊碑「沖 縄師範健児の塔」の横に立つ「平和の像」。 ... が)口出しする問題ではない』と言い、第六師団の400名の兵隊と200名の警察官を連れて来て、首里城を占拠したわけです。

1枚の写真が国家を動かすこともある

「軍隊は人を守らない」という沖縄の教訓 (大田昌秀元沖縄県知事 )

沖縄戦を体験し、基地のない沖縄を、戦争を二度としない日本を守るために尽力されてきた元沖縄県知事の大田昌秀さんがお亡くなりになりました。悲しくて、残念で仕方ありません。どれだけ大切な人を、私たちはまた失ってしまったのでしょうか。大田さんが生涯をかけて伝えてくださったメッセージを、忘れません。大田さんがDAYS JAPANに寄せてくださった言葉を、数回に渡り、お伝えします。

摩文仁の地て?戦争体験について話 す大田昌秀元沖縄県知事。2014 年 5 月21日 Photo by Ryuichi HIROKAWA

①沖縄の戦争 「軍隊は人を守らない」という沖縄の教訓

沖縄はかつて、本土防衛のための激戦地となり13万人以上の住民が犠牲になった。 大田昌秀氏は当時、学徒らで結成された鉄血勤皇隊として守備軍司令部のもとで任務に就いていた。沖縄最後の激戦地となり、大田氏が死を覚悟で戦火の海に飛び込んだ摩文仁(まぶに)の地で、本誌発行人・広河隆一が話を聞いた。(2014年7月号掲載)

インタビュー/広河隆一 まとめ/丸井春 写真/沖縄公文書館、アメリカ公文書館

南部摩文仁 沖縄最後の激戦地

沖縄本島最南端に位置する糸満市・摩文仁(まぶに)。海岸沿いに広がる沖縄戦跡国定公園から望む海は、かつてここが沖縄最後の激戦地となったとは思えないほど、穏やかな波を立てていた。「ここから海を見ると、海上に敵の軍艦が真っ黒になるくらいに見えたんです」

大田昌秀元沖縄県知事は、14?17歳の中等学校生徒らによって結成された 「鉄血勤皇隊」の隊員としてこの戦場に送り込まれた。

今はうっそうと生える木々も当時は1本もなく、敗残兵や住民らか?身を潜める裸の岩原や壕に、海から上か?った米軍の水陸両用戦車の大群が次々と火炎放射攻撃を浴ひ?せていったという。

1945年6月、首里から撤退した守備軍司令部と主力部隊は南部へ後退、摩文仁のある喜屋武半島は、3万人の兵と10万人を超す住民らて?溢れかえった。米軍は半島を包囲し、軍民の区別なく激しい攻撃を続けた。

「最後には、海岸から来る戦車と反対側の集落から来る戦車に挟まれて、みんなか?海岸のところ一面に追い詰められました。岩間に隠れていた人たちは逃け?場を失い、と?うにもならす?にみんな海に飛ひ?込みました。私もすっかり疲れきっていたけと?海に飛ひ?込んて?、意識を失ってしまいました。気がついたら胸まで潮に浸って海岸に倒れていた。何日倒れていたのか今でも分かりません」

沖縄戦では、兵力を補うために地元の住民までが戦場に投入されたが、戦況が悪化しそれでもたりなくなると、今度は中等学校の生徒までが法的な裏付けもないまま駆り出された。大田さんら沖縄師範学校の男子生徒らも「鉄血勤皇師範隊」として、守備軍司令部のある摩文仁で任務に就いた。

「米軍はどうしたかというと、トンボと呼ばれていた小さな飛行機からガソリンタンクと焼夷弾を投下して壕内の人たちを焼き払ったのです」

摩文仁て?の激戦中大田さんらか?身 を寄せていた日本軍管理部の壕。 大田さんら「鉄血勤皇隊」のほか17 ?20歳の女性らも炊事の任務に 当たっていた。2014年2014年5月21日 Photo by Ryuichi HIROKAWA
摩文仁て?の激戦中大田さんらか?身 を寄せていた日本軍管理部の壕。 大田さんら「鉄血勤皇隊」のほか17 ?20歳の女性らも炊事の任務に 当たっていた。2014年2014年5月21日 Photo by Ryuichi HIROKAWA

師範学校の鉄血勤皇隊のうち、大田さんが所属していていた千早隊と呼ばれる22名の学徒らは、軍司令部情報部からの通達を得て、各地の壕に潜む兵士や民間人に戦況を伝える情報伝達の任務を与えられていた。

「最初はみんな非常に情報に飢えているものですから喜ばれて歓待してくれたのですが、後半になるとわれわれが伝えるニュースと現状が全然違うわけです。ですから次第に疑われるようになりまして、大変苦しい思いをしました」

摩文仁の丘ともうひとつの高い崖を挟んだ反対側には、住民を追い出した米兵らがテントを張っており、海岸寄りには岩盤に覆い被せられた窪みのようになった場所がある。大田さんらはそこにある日本軍管理部の壕に身を寄せていた。

「ここは食料を蓄えていましたから、ここから私たちは2人で米俵を担ぎ、守備軍司令部に運んで行ったわけです。そうすると海上にいる敵の軍艦から丸見えになるものですから、重機関銃で集中攻撃されました。私たちは坂道の中腹で担いでいた米俵を放り出し、身を伏せるしかありませんでした」

壕には炊事場があり、そこでは17?10歳ぐらいまでの女性15人ほどが炊事 に当たっていた。 「壕は岩で覆われていますから、砲弾は頭上を飛び越えていくわけです。そうすると米軍はどうしたかというと、トンボと呼ばれていた小さな飛行機からガソリンタンクと焼夷弾を投下して壕内の人たちを焼き払ったのです。私はそのとき、右足底をえぐられて1週間ぐらい岩の溝のところに横たわっていましたから、その少女たちが目の前で焼き殺されるのを見ていたわけです。本当になんとも言えない生き地獄です。人間が火事場の焦げた柱みたいになって横たわっているのですから」

「沖縄の住民が食料を持っていると、兵隊たちがすぐに奪い取っていったんですね。『俺たちはわざわざ遠いところから沖縄を守るためにやって来た。だからお前たちは食料を出せ』と言って」

6月も下旬になると、摩文仁での激戦はますます激しくなった。日本兵の死者は1日に1000人を超えるよう になり、飢えも激しく、負傷している大田さんも海岸を腹這って食料を求めた。

「敗残兵が岩間から海岸に出て、貝を拾っていました。そうすると、上半身裸の米兵が摩文仁の丘の上にやって来て、弁当を食べながら自動小銃でその敗残兵たちを狙い撃ちしていました。まるでゲームを楽しむように敗残兵を殺すわけです」

一方、大田さんは日本軍の敗残兵が 味方の敗残兵を殺すということも毎日見てきたという。 「雑嚢(ざつのう)という食料品などを入れる肩掛けの布袋があるのですが、それが膨らんでいるのを見つけてはその袋を持っている兵を殺し、雑嚢を奪うということをしていました。それを見て私は、ああ、この戦争はおかしな戦争だ、生き延びることができたら、何としてでもなぜこんなことになったのか、その理由を明らかにしないといかんということを思ったわけです。日本兵が同じ日本兵を簡単に殺すなんて、夢にも思わなかったし、想像したことさえありませんでした」

食料の強奪は兵士間だけのことではない。沖縄戦では、日本兵による住民への暴力も熾烈を極めていた。「沖縄の住民が食料を持っていると、兵隊たちがすぐに奪い取っていったんですね。『俺たちはわざわざ遠いところから沖縄を守るためにやって来た。だからお前たちは食料を出せ』と言って。出さないと射殺して奪うということもありました。

そして沖縄戦では、住民は沖縄語による会話が禁じられていましたから、標準語を話せない高齢者たちが大勢、スパイだとして日本軍によって殺害されました。一番みじめだったのは、壕の中には赤ちゃんを抱っこしている女性たちもいるわけですね。そうすると、小さい子どもが泣くと、兵隊は『それを外に出せ』と。出さないと銃剣で刺殺したりしました」

沖縄には、字誌(あざし)という公刊物がある。字(あざ)とは村よりも小さい単位を言い、ほとんどの字が戦争の記録を綴った字誌 を出している。大田さんは今、それをまとめる作業を進めている。 「そこには、われわれ戦場にいた者さえびっくりするようなことが、はっきり書かれています。旧日本軍が地元住民を何人殺したということが、何月何日の何時ごろ、どういう階級の日本の兵隊にどのように殺されたのか。被害者の名前もはっきり載っています」

字誌は膨大な量だというが、大田さんは「沖縄戦をもう一度総ざらいしないとその実態は分からない」と作業を進める。「ショックを受けるようなことが次々と出てきて、なかなか前へ進まないのですが……」

大田さんは戦後、苦しいことがある度に摩文仁の壕に足を運んできた。 「自分の戦後の人生はここから始まったのです。自分がここで生き延びたということを思い出して、一度死んだ命 じゃないか、苦しいことなんて当時に比べたら話にならん、と。それでまた元気になって帰って行くんです」

師範学校の鉄血勤皇隊は386人。 そのうち226人が戦死した。

慰霊碑に刻む 学友らの記憶

鉄血勤皇隊として犠牲になった沖 縄師範学校の生徒と職員を祀った慰霊碑「沖 縄師範健児の塔」の横に立つ「平和の像」。 右側の少年から「友情」「師弟愛」「永遠の平 和」を象徴している。2014 年 5 月 21 日 Photo by Ryuichi HIROKAWA
鉄血勤皇隊として犠牲になった沖 縄師範学校の生徒と職員を祀った慰霊碑「沖 縄師範健児の塔」の横に立つ「平和の像」。 右側の少年から「友情」「師弟愛」「永遠の平 和」を象徴している。2014 年 5 月 21 日 Photo by Ryuichi HIROKAWA

大田さんたちは1946年、壕近くに慰霊碑「沖縄師範健児の塔」を建てた。そこには、戦死した生徒ひとりひとりの所属と名前が刻まれている。

「離島のおじいちゃんおばあちゃんたちが朝やって来て、自分の息子の名前を涙を流しながら手でなぞり、夕方まで座り込んで動かないわけです。戸籍簿などが全部焼き払われてしまいましたから、この1行の名前だけがその人がこの世に生きていたという証拠になったのです」

大田さんは、碑に刻まれた学友たちの名前をじっと見つめながら続ける。 「学徒ら25名で編成された〝特編隊〟という隊がありました。守備軍首脳たちが首里から摩文仁に下がってくるときに、彼らの安全を守るというのが任務でした。この隊は全滅しています。なぜかというと、学徒たちは、爆薬を詰めた木の箱を持って身体ごと敵の戦車に突っ込んで行って死んでしまったのです。また〝斬り込み隊〟という57名の隊員から成る隊もありましたが、46名が死んでいます。みんな、剣道や柔道の精鋭ばかりが集まって作った隊でしたが……」

大田さんによると、沖縄戦では13万人を超える住民が犠牲になったが、その8割以上が、この南部の激戦で命を落としたという。

「私は戦争体験があるものですから、基地だけは絶対に受け入れられません。沖縄はもう二度と戦場にしたくありませんし、沖縄の人々は基地に対して徹底して嫌がっています」

大田さんは、知事時代も積極的に沖縄の「平和」について訴え続けてきた。 それにも関わらず今、安倍政権の掲げる「積極的平和主義」の下、日米同盟 はさらに強化され、新たな基地建設まで押し進められようとしている。

「今の政府のみなさんというのは、全然沖縄のことを知らないのだと思います。沖縄の人の感情に考慮するということは全くない。遠く離れて目に見えないですから」

沖縄の人々にとっての戦後は、絶えず基地と隣り合わせにあり、反対する人々の声は繰り返し無視され続けてきた。沖縄がまるで政府の所有物のよう に扱われることに対して、大田さんは、今に始まったことではないと話す。

「もともと沖縄は非武装の王国だったのです。15世紀末から16世紀の始めにかけて即位していた琉球王国の尚真王という王がいましたが、彼は住民に対して一切の武器の携帯を禁止しました。沖縄で空手が発達したのもそのためだと言われています。やがて1609年に薩摩の琉球侵略がありましたが、薩摩は、琉球人が反乱を起こすことを恐れて、武器の輸入を全部禁止しました。ですから、琉球は500年ほどの間、武器のない「守礼の邦」として知られていたわけです。 それが1879年の廃藩置県のとき、明治政府は、琉球に熊本の第六師団の分遣隊を常駐せしめるということを言い出したわけです。それに対して琉球王国の代表たちは、こんな小さな島に軍隊を置くのはかえって危険を招くから絶対に軍隊などいらないと拒否しました。すると明治政府は『どこに軍隊を置くということは政府が決めるべき問題であり、(琉球王国が)口出しする問題ではない』と言い、第六師団の400名の兵隊と200名の警察官を連れて来て、首里城を占拠したわけです。そこから沖縄の悲劇が始まるわけなんです」

15世紀以降独立国として栄えた琉球王国は、アジアの周辺地域と密接につながりながら、交易を中心に独自の文化を築き上げてきた。その平和な非武装の王国に突如軍隊が押し寄せてくる。 警戒を示したのは住民だけではなかった。

「清の李鴻章という外務省の大物が、軍事力を用いて強制的に琉球を併合していたら、日本はそのうち台湾を獲って朝鮮を襲い、さらに中国に侵略してアジア侵略をするだろうと予言していたら、その通りになりました。そのため日本が真珠湾攻撃をして半年、アメリカ政府は沖縄を日本から切り離し非軍事化する計画を練っています。そして沖縄を国際機関に委ねて25年ごとに軍事化されていないかチェックさせるという計画を立てたわけです。  ところが戦後、いざ天皇制国体を維持した平和憲法を作るときになると、平和憲法では軍隊を持てませんから、その担保として沖縄を軍事基地化して米軍を置けばいいとして、連合国軍総司令部官のマッカーサーが、せっかく非軍事化することになっていた沖縄を米軍の軍事基地化してしまいました」

日本が降伏した当時、日本国内には434万人の軍隊が残っていた。そのため沖縄の基地化は、日本軍の反乱を恐れた連合国軍が、それに対応するために作ったという事情もある。

「たった百十数年前まで武器を持たない平和な暮らしが営まれていた場所が、やがて戦場になり、その後基地と化しました」

大田さんは、今の日本はまるで戦争に向かっているようだと話す。そして日本が戦場になった時、まっさきに犠牲になるのは、近隣の強国にもっとも近く基地を持つ沖縄だという。

「とにかく、今年はひょっとしたら沖縄の最悪の年になりかねないと私は心配しています。今、着々と辺野古への基地の移設が進められていますが、これが進んでいけば、沖縄の人々の怒りは、必ず爆発するでしょう。そうすると、コザ騒動(注1)どころの騒ぎじゃない。沖縄はずっといじめられてきたものですから、人々の怒りが火を噴いたときには予想も出来ないような事態になるかもしれません」

「たった百十数年前まで武器を持たない平和な暮らしが営まれていた場所が、やがて戦場になり、その後基地と化しました」。沖縄の人々の悔しさと怒りは大田さんには痛いほど伝わる。そして大田さんは、戦争のつけを負わせられ続けている沖縄の人々の思いをこう代弁する。

「沖縄の人々は歴史の中で何度も痛みを感じていますから、単純な痛みに対しても非常に気を配るところがあります。特に、朝鮮戦争の頃から、沖縄基地から出撃する米軍によって外国の何ら罪のない人々を殺害することに胸痛めてきました。沖縄の方言に『チュニクルサッテン、ニンダリーシガ、チュクルチェ、ニンダラン』という言葉があります。つまり、他人に痛めつけられても眠ることはできるけれど、他人を痛めつけては眠ることはできないということです。 それが、沖縄の人々の普通の考え方なんです。沖縄の人々の意思に反して、沖縄の人々が加害者の役割を担わされることにも、沖縄の人々はいつも苦しんでいます。その意味では、本土の日本人も米軍に加担しているのではないでしょうか?」

DSC_02128
(注1)1970年12月20日未明、米施政権下の沖縄コザ市(現沖縄市で)で起きた沖縄の人々らによる騒動。米軍人が沖縄人を車ではねたことをきっかけに、米軍車両や施設を次々焼き討ちにした。米施政下での沖縄の人々の不満が爆発し、自然発生的に起きたとされる。

投稿者 marui投稿日: 2017年6月12日フォーマット 画像タグ 大田昌秀, 沖縄

沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り
6/23(金) 12:05配信
沖縄タイムス

沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り
<平和の礎>亡くなった兄や親戚の名前を探す遺族=23日午前、糸満市

 戦後72年の「慰霊の日」を迎えた23日、沖縄県内では沖縄戦で亡くなった20万人を超える犠牲者を追悼し、恒久平和を希求する祈りに包まれた。

【写真】戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」の前で三線を弾く女性

 糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎(いしじ)」や、同市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」などには、朝早くから多くの戦争体験者や遺族らが訪れ、亡き肉親や友人らの魂を慰めた。子や孫らと一緒に線香や花を手向け、祈りをささげる姿もみられた。

 同公園では、午前11時50分から、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。安倍晋三首相や衆参両院議長のほか外務、防衛、厚生労働、沖縄担当の関係閣僚らが出席。正午の時報に合わせて黙とうした。

 沖縄戦では一般県民約9万4千人と、日米軍人・軍属などを合わせて20万人余が亡くなった。敵味方を問わず、沖縄戦の戦没者らの名を刻む平和の礎には、今年新たに54人(県内31人、県外8人、海外15人)が加わり、計24万1468人が刻銘されている。

「多くの死を見た。戦争はもう嫌だ」
◆仲村渠ヨシ子さん(79)=南城市

 南風原町宮城に暮らしていたが、ここは家族全滅したところが多かった。だから戦死した父の名前を探すのも一苦労。父は沖縄のどこかで戦っていたらしいけど、詳しくは何もわからない。最後はけがして南風原の軍病院にいたらしいとだけ聞いていて、お骨もなくかわいそうね。

 私は当時国民学校1年生。米軍が上陸したというから、母と弟とやんばるを目指したが、どうやって逃げたか覚えていない。母は食料や布団など背負って、私は弟をおぶっていた。今の大宜味村あたりで空襲があり、弟は私の背中で死んでしまった。

 むごかったのは那覇にいた時の10・10空襲。もう死体で足の踏み場もない。その時避難していた壕(ごう)の中から、たくさんの若い人がおじいやおばあを背負って、一緒に撃たれて死んでいくのを見ていた。戦争はもう二度と嫌だ。

 基地は全く無いのも困るけど、やはり戦争の時に狙われるのではと怖い。どっちがいいのかわからない。
次ページは:「兄が生きていたら…何度も願った」 
沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り
6/23(金) 12:05配信
沖縄タイムス
「兄が生きていたら…何度も願った」 
◆大城盛助さん(85)=豊見城市
 毎年、兄の大城成教(せいきょう)の冥福を祈るため「平和の礎」を訪れている。兄が今生きていたら92歳。先日亡くなった大田昌秀元知事と同じ年齢だ。大田元知事が平和の礎を建ててくれたことにとても感謝している。今年は大田元知事の冥福も一緒にお祈りしたいと思って来た。

 兄がいつ、どこで亡くなったかは今も分からない。沖縄戦のとき、兄は20歳、私は13歳だった。兄は小禄の飛行場で航空整備兵として働いていた。戦争が始まる前はよく遊んでくれた。戦争で行方がわからなくなり、戦後もどこかで生きていたらと思い続けてきた。だが何年たっても便りがない。仕方なく、飛行場近くで祈祷(きとう)師に小石を拾ってもらい、骨の代わりとして墓におさめた。

 兄は生前、小学生だった私に「勉強しなさい」と手紙をくれたことがあった。私はそれを遺言だと思い、一生懸命勉強し、小学校の教員になった。豊見城小学校の校長をして退職した。私の人生は兄のおかげでやってこれたと思っている。

「いっそ死んだ方が楽とさえ思った」
◆當山キク子さん(83)=豊見城市 

 戦時中はどこにいたのか分からない。ただ、昼夜問わず砲弾が降り注ぐ中、葉っぱをかさ代わりにして身を隠しながら、叔父に手を引かれ、泣きながら必死に走り回ったことを覚えている。

 とにかくひもじくて、水や食べ物を求めてさまよった。辺りは歩く場所もないほどの死体が転がり、その上を歩くしかなかった。そしてまた、爆撃機の音が近づく。「また来る」と恐怖し、両手で耳をふさいで地面にしゃがみ込んだ。

 夜はヤギ小屋で寝た。臭いもあったが、雨さえしのげればよかった。だが、衣服にはシラミが沸き、かゆくてたまらない。こんな毎日の繰り返し。いっそ死んだ方が楽とさえ思えた。

 平和の礎には、戦争で亡くした兄といとこの名が刻まれており、毎年食べ物や花を手向けに来る。元気なうちは、ここで手を合わせ続けたい。

 今の世の中、食べ物もあるし、生きているだけでありがたいと思う。あの戦争を二度と繰り返してはいけない。
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沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 慰霊の日、島を包む平和の祈り
6/23(金) 12:05配信
沖縄タイムス
「吹き飛ばされた女性の首、今も…」
 ◆新里トヨ子さん(80)=八重瀬町

 今日は夫の祖母、新里ウトさんに会いに来た。面識もないし、顔も知らないけど、夫がかわいがってもらったので感謝し、毎年参拝に来ている。

 沖縄戦当時、私は8歳だった。家族4人で逃げていたが、どうせ死ぬなら浜で死のうと話し、暗闇の中、八重瀬町の新城から糸満市の大渡海岸まで歩いた。途中、道ばたで負傷した日本兵に足をつかまれ、「助けてくれ」と言われたのを覚えている。

 忘れられない光景がある。とてもきれいなお姉さんが、爆撃で首が吹き飛ばされ、笑顔のままで顔が塀にくっついていた。私はそれを指さして、母親に「おっかー、見て」と言うと怒られた。

 平和で豊かな世の中になったが、殺人など凶悪な事件が起きている。戦争を体験していたら、そんなことできるはずがない。戦争の話はあまりしたくないけど、若い人たちには相手を思いやり、物を大切にする気持ちを学んでほしい。

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最終更新:6/23(金) 14:15
沖縄タイムス

沖縄慰霊の日 「安倍帰れ!」コールを海外メディアが一斉報道|政治 ...
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/161145
2015/06/26 - 23日の沖縄全戦没者追悼式に安倍首相が登壇すると、会場からヤジが巻き起こった。県民の8割が反対する辺野古移転を強引に推し進めようとする安倍。民意無視のトップに沖縄の人々は怒りをぶつけたのだが、その抗議の声を海外メディア ...

「NHKよ、なぜ安倍首相への帰れコールを隠すんだ」 海外メディアの記者が ...
www.huffingtonpost.jp/2015/06/23/abe-to-go-home-heckle_n_7650666.html
2015/06/24 - 6月23日の慰霊の日、沖縄全戦没者追悼式に登壇した安倍晋三首相が、会場で「帰れ!」などと多くのヤジを受けたことを海外メディアが大きく報じたが、NHKは報じた様子はない。海外メディアの記者からは苦言を呈する声も出ている。

⑧①【沖縄 慰霊の日】 食料を探し求め帰ってこなかった!軍隊は人を守らない!今年も安倍帰れコール!
安倍加計萩生田光一ズブズブ学園
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