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【殺人鬼西口彰】は小泉純也似!小泉のルーツ鮫島円丈坊は殺人犯で海賊だった!

①【殺人鬼西口彰】は小泉純也似!小泉のルーツ鮫島円丈坊は殺人犯で海賊だった!
②【殺人鬼西口彰】は小泉純也似!小泉のルーツ鮫島円丈坊は殺人犯で海賊だった!
口がうまくてこの顔だと大人は騙されますよね
①5人殺害【殺人鬼西口彰】はキリスト教で嘘つきで口が上手かった!

【殺人鬼西口彰】は小泉純也(鮫島純也)似!
強姦魔結城純一郎のルーツは殺人犯で海賊の鮫島円丈坊
【皇族暴力団で検索】安倍の先祖は海賊(李要蔵)(岸要蔵)!
小泉純也(鮫島純也)1904年 
強姦魔芸者殺し野郎結城純一郎 1942年〈昭和17年〉1月8日 ハマコーが小泉に「 この芸者殺し野郎!」
イトコのテロリスト池口恵観本名は「鮫島正純」
小泉のルーツ鮫島円丈坊は殺人犯で海賊 キリストザビエル 
殺人鬼西口彰 生年月日1925年12月14日 キリスト

ザビエルも極悪ユダヤ人である!キリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った!
「お前、ザビエルを悪く言うなよ。キリスト教布教で頑張った人だろ。」まあ、教科書にはそう載ってる。白人はいい人たちだとな。バカいってんじゃねーーキリスト教布教の狙いは、日本人を堕落させて、日本人を奴隷にすることが目的だ。当時、インディオたちが大虐殺されたようにな。フランシスコ・ザビエルはユダヤ人である
http://pocop0c0.blog.fc2.com/blog-entry-556.html

★正次郎のNewsToday おお怖!!帰化人政治家一覧②小泉純一郎の父
kotodamayogen.blog.fc2.com/blog-entry-3705.html
2016/02/16 - 小泉元総理の父親鮫島純也は鹿児島の田布施という朝鮮部落出身です。 清原、徳州会、朝鮮総連がらみの池口恵観さんは、小泉純一郎の従兄弟だそうです。 彼らのご先祖らしき、薩摩の鮫島円丈坊は殺人を犯し、海外に逃亡、ザビエルを ...
小泉元総理の父親鮫島純也は鹿児島の田布施という朝鮮部落出身です。
清原、徳州会、朝鮮総連がらみの池口恵観さんは、小泉純一郎の従兄弟だそうです。
彼らのご先祖らしき、薩摩の鮫島円丈坊は殺人を犯し、海外に逃亡、ザビエルを日本に呼び込み、多くの日本人が奴隷狩りに会い海外に売り飛ばされました。後世、海賊として中国を荒らしまわり、向こうで殺されたそうです。
日本人を悪くし国民を悲劇に貶めた小泉純一郎。中国との、因縁も感じますね。
http://kotodamayogen.blog.fc2.com/blog-entry-3705.html

★5人殺害【殺人鬼西口彰】
生年月日1925年12月14日
キリスト教カトリックの家庭に生まれる。
幼少の頃からキリスト教の「敵を愛す、敵を愛せ」の教え、イエスの宣教をうけているが、両親の中が悪かったこともあり、「敵は存在し、周りは敵だらけ」とカトリックの逆の思考が働く。
「嘘つき」で、口が上手く、他人を信頼はできず、家庭は借金返済で生活が厳しく、今後生活していくことに不安を子供のころから抱えていた。
西口彰は逃亡する前に、窃盗や暴行事件を起こし、前科4犯の犯罪を起こしている。
1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を葬り去る

★【掲載写真はネット上に浮遊する小泉正也(純一郎の実弟)の写真、左端。ご丁寧に、説明には小泉純一郎の“舎弟”とある(笑)掲載者のブログは圧力を受けたのか、記載されたURLではアクセスできない。中央は名前は忘れたが元有名作家、右端の中年女性は、市川団十郎夫人とある。まるで有名人や芸能人が暴力団幹部と宴席を囲んだ時の記念写真のようだ(笑)】
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/81a2028126cdb266067bf4d3c42b8974

★小泉純也 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/小泉純也
小泉 純也(こいずみ じゅんや 、1904年(明治37年)1月24日 - 1969年(昭和44年)8月10日)は、日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。旧姓鮫島(さめじま)。ニックネームは安保男(あんぽおとこ)。 衆議院副議長、逓信大臣などを歴任した小泉 ...鹿児島県川辺郡東加世田村(のち万世町、加世田市、現南さつま市)の漁業・鮫島家に生まれた。父親の彌三左衛門(やざえもん)は事業に失敗し、地元の鰹節工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった[2]。
学生時代[編集]

鹿児島実業の夜学に通いながら、市内にある呉服店山形屋(現百貨店)に勤務した[2]。
学校を出ると朝鮮銀行に職を求め、お茶汲みをした[3]。また、職工として大阪や神奈川・鶴見の旭硝子工場で働いた[4]。
代議士岩切重雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、1930年に卒業した。岩切の紹介で立憲民政党の職員となる。そして、同じ鹿児島出身の議員床次竹二郎の指導を得るようになった。
小泉又次郎が幹事長をつとめる立憲民政党の事務職員だった頃、その娘である芳江と知り合った[5]。
在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導[編集]
1950年代末、在日朝鮮人の帰還事業に中心的な役割を果たした。当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動したことが確認された。国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長歳川隆雄は小泉純也が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也氏の選挙区である神奈川2区に多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。また歳川は「純也が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあった」と述べた[15]。

小泉純也 鮫島純也 鮫島純彌 1904年
妻・小泉芳江
親族
義父・小泉又次郎
長男・小泉純一郎 1942年
小泉正也
小泉信子
小泉道子
小泉隆子

小泉純一郎の出自。父は朝鮮部落出身で母はヤクザの娘|michiruのブログ
ameblo.jp/michiru619/entry-12198462029.html
2016/09/10 - 彼は、あっさりと、小泉純也朝鮮人説を肯定した。小泉純也が加世田の朝鮮人部落の出身者であることは事実である

正次郎のNewsToday おお怖!!帰化人政治家一覧②小泉純一郎の父で ...
kotodamayogen.blog.fc2.com/blog-entry-3705.html
2016/02/16 - 小泉元総理の父親鮫島純也は鹿児島の田布施という朝鮮部落出身です。 清原、徳州会、朝鮮総連がらみの池口恵観さんは、小泉純一郎の従兄弟だそうです。 彼らのご先祖らしき、薩摩の鮫島円丈坊は殺人を犯し、海外に逃亡、ザビエルを ...
小泉元総理の父親鮫島純也は鹿児島の田布施という朝鮮部落出身です。
清原、徳州会、朝鮮総連がらみの池口恵観さんは、小泉純一郎の従兄弟だそうです。
彼らのご先祖らしき、薩摩の鮫島円丈坊は殺人を犯し、海外に逃亡、ザビエルを日本に呼び込み、多くの日本人が奴隷狩りに会い海外に売り飛ばされました。後世、海賊として中国を荒らしまわり、向こうで殺されたそうです。
日本人を悪くし国民を悲劇に貶めた小泉純一郎。中国との、因縁も感じますね。
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★西口彰連続殺人事件【事件概要】
1963年10月、福岡県内で2人の運転手が殺害されるという事件が起こった。警察は目撃証言や指紋などから、窃盗などの前科があった西口彰(当時37歳)を指名手配した。西口はその後も逃走しながら殺人と詐欺を繰り返したが、64年1月に熊本の女子小学生の直感により逮捕された。

西口彰
【3人目の男】
1963年10月18日朝、福岡県京都郡苅田町堤の国鉄日豊線苅田駅西側の山道で、専売公社(日本たばこ産業の前身)福岡出張所に勤務する村田幾男さん(58歳)がキリのようなもので刺されて血まみれで死んでいるのが発見された。近くには凶器と見られる千枚通しが落ちていた。
さらに同じ頃、約2km離れた同県田川郡香春町仲哀峠の国道近くで、専売公社福岡出張所がチャーターした行橋通運の小型トラックが放置されており、車から350mほど離れた場所で、運転手・森五郎さん(38歳)が手拭で首を絞められて殺されているのが見つかった。

村田さんと森さんは前日朝から集金に回っていたが、苅田町内のY方に集金に訪れ、ここで夕食をすませた午後5時半頃から行方がわからなくなっていた。車内からは集金したはずの43万のうち27万円が紛失していた。

10月21日、行橋市内に住む前科4犯の元運転手・西口彰(当時37歳)が全国に指名手配された。
これは2人がYさん方を訪れた時、もう1人時々連れてきたことのある男が小型トラックに乗っていたのを見た家人の証言からだった。この男こそ西口で、残された指紋も一致した。西口の家からは血のついた衣類も見つかり、愛人の理容師(当時40歳)宅も突きとめたが、肝心の西口の行方はわからなかった。

【詐欺師と強殺犯】
1925年、大阪生まれ。家は代々カソリック信徒で、西口も5歳で洗礼を受ける。
戦前、大分県別府市に移り、旧姓中学に入学。
中学2年の時、家出をして、窃盗と詐欺で岩国の少年院に入る。翌年、出所した後は大阪に戻ったが、恐喝や詐欺で再三刑務所に入った。終戦直後、娑婆にいる間に1歳下の女性と結婚して3人の子がいる。
別府刑務所を出所後は運転免許をとり、妻子を大分県別府市の両親に預け、1人出てきた行橋市で運転手をしていた。この仕事は63年10月5日まで続けていたが、それ以降は欠勤していた。
妻子が傍にいない間、前述の理容師の他、飲食店店員など愛人にし、また事件直前には理容師の長女や店の見習などにも手を伸ばしつつあった。西口は「自分は大卒。両親は別府市の資産家。パチンコ店と旅館を経営している」と言って女を落とした。実際、若く見えたし、口がうまいところもあったのだろう。

10月18日、福岡県で専売公社の運転手2人を殺害、たばこ代金27万円を奪う。この計画は前日に練ったもので、知り合いの村田さんのトラックを待ちうけて乗り、たばこ配達に付き合った。
 西口は元々、窃盗、詐欺を繰り返した人物であり、それまで殺人を犯したことはなかった。詐欺師と殺人者、つまり知能型と暴力型は両立しないとされるが、この西口事件はそういう意味では犯罪史において貴重なケースとされる。
その翌日、福岡市新柳町(現・中央区清川」)旅館「一力荘」に売春婦と思われる女性連れで訪れ、その翌朝の朝刊で事件記事に自分の名前と顔写真が出ているのを見つけた。

【逃亡と犯罪の日々】
21日、ギャンブル好きの西口は佐賀県唐津の競艇レースで21万円もの大金を得た。同じ日には嵯峨氏のカトリック教会のミサにも参加。夜には小倉の平和台球場でナイターを観ていたが、その日の夕刊で自分が指名手配されていることを知った。
 その後、行橋市の妻と行橋署に手紙を送っている。

警察署や世間を騒がせて申しわけないと思っている。捕まって笑われるようなことはしない。
                 ―――東京にて記す。
※行橋署宛て
捕まって世間に笑われるようなことはぜったいしない。死ぬつもりだ。

※妻宛て
10月24日、岡山県宇野と香川県高松を結ぶ国鉄宇高連絡船「瀬戸丸」の甲板に、背広の上着と黒い革靴が置かれているのを乗客が発見。上着のポケットに西口の書いたハガキがあり、海へ飛びこんで自殺したのではないかと見られた。だが付近を捜索しても遺体は発見されなかった。
 2通のハガキは次のような文面だった。

先だって平和台の野球を見に行って泊まった者です。
旅館を出るとき私の旅行カバン、日用品、靴を預けたものです。
これについては後で連絡する
アキラ
荷造りして送ってください。

※19日宿泊の福岡市新柳町 「一力荘」宛て
先立つ不幸許して下さい。
今度は本当に御迷惑をかけました。胸が一杯で何も書けません。
御幸に御元気で何時迄も御幸にね。馬鹿な彰を許して下さい。
この道を選ぶより外はなかったのです。

※長男宛て
西口彰は自殺などしていなかった。
 捜査本部も「偽装である」と断定していた。これは警察が玉野市、高松市近隣の古物商、質屋などをあたったところ、玉野市の船乗り場近くの質店で、西口らしい男に古い靴を売ったという証言が得られたことと、24日夜遅くに玉野市の旅館に宿泊していたらしいことがわかったからである。
西口は岡山から神戸、大阪、京都、名古屋と逃げ続けていた。「京都大学教授の高橋」と名乗った。

10月、静岡県浜松市の旅館に投宿。
 やはり大学教授を名乗ったが、もちろん巧妙に「静岡大学から電話がかかってくるかもしれない」と言っておいて、外から自分で電話をかけ「京大の高橋先生はいらっしゃいますか。こちらは静岡大学の者ですが」などと言って宿の人を信用させていた。

先の旅館に二泊した西口は、市内の貸し席「ふじみ」に宿替えした。意気投合した女将・藤田ゆきさん(41歳)にも静岡大教授と名乗り、関係を結んだ。

その後なぜか広島へ。この時の所持金は800円ほどしかなかったため、カトリック教会の神父に、やはり京大教授と名乗り、「施設にテレビを寄付したいので電気器具商を紹介してくれと言って紹介状をもらい、テレビ5台を詐取してうち4台を質に入れて8万円を受け取った。

 11月19日、「ふじみ」に戻った西口は、藤田さんと、外出から帰ってきた母はる江さん(61歳)を絞殺、貴金属や衣類を奪った。それらも入質して計15万円を手にしている。警察はこの犯行も西口によるものと断定し、公開捜査を行う。

12月、千葉市では千葉地裁内で罰金を納めに来た女性(当時60歳)に弁護士と名乗って声をかけ現金を詐取。
 千葉県弁護士会館で弁護士名簿を詐取。ここから西口は大学教授から弁護士と名乗るようになる。大胆にも千葉刑務所の待合室に入りこみ、女性(当時50歳)から息子の保釈金を詐取した。

12月5日、福島県常磐市(現・いわき市)の弁護士事務所で弁護士バッジを奪う。
12月7日、北海道沙流郡門別町の洋品店に弁護士を装って訪れ弁護料を詐取。さらに都内で弁護料として現金を詐取。

栃木県の旅館で宿賃を踏み倒したうえ、市内の弁護士宅を訪れ、「汽車賃を貸して欲しい」と言って現金を詐取した。

12月20日、東京地裁内で保釈手続きに来た女性(当時48歳)から保釈金を騙し取る。
12月29日、豊島区雑司ヶ谷のアパートで検事出身の弁護士・神吉梅松さん(81歳)を絞殺、腕時計と弁護士バッジを奪う。東京地裁の待合室で知り合い、民事訴訟を依頼、1人暮らしであることを知り、打ち合わせと言って同行していた。
 殺害後、西口はこの弁護士宅に再び訪れ、来訪した男性(当時57歳)から保釈金名目の現金を詐取、東京地裁へ行ってまたも保釈金を詐取した。

西口は年末になって都内を離れ、豊橋、名古屋に立ち寄った後、九州を目指した。

1964年1月3日、福岡事件の支援活動をしていた古川泰龍氏(当時43歳)方の、立願寺(熊本県玉名市)に「東京・文京区の川村角治弁護士」と名乗る男がやってきて、運動への協力を申し出た。この男は西口であり、本物のバッジをつけていた。実は西口は以前詐欺罪で福岡刑務所に服役してときに、古川氏の顔を覚えていたのだった。
協力の申し出に古川氏は感激し、2人で話しこんだ。その時、西口は死刑論などについて熱く語って床についたという。

「お父さん、あのお客さんはポスターにあった殺人犯の西口にそっくりよ」
 古川氏の次女で小学5年のるり子さん(当時11歳)は、この男が連続殺人犯・西口彰であることを見抜き、父親に知らせた。るり子さんには西口と一字違いの同級生がいたので、登校のたびに興味深くポストに貼ってあった手配書を見ていたのだという。古川氏は当初「お客さんに失礼なことを言うな」と娘を叱ったが、身長、ホクロといった特徴が殺人犯と見事に一致していた。それに東大卒の弁護士と名乗ったが、有名教授の名を知らなかったり、「自由法曹団」を「自由法曹院」と間違っていたことを古川氏は思い出した。
その晩は古川家にとっては恐怖だった。感付かれれば、殺されるかもしれなかった。
古川氏は家族で話し合ったうえで、子ども部屋に鍵を付け、また西口が寝静まったのを確認したうえで玉名署に届けた。翌朝駆けつけた警官に対しても、西口は「弁護士の川村角治だ。何の用かね」と堂々と話していたが、逮捕された。

犯行の動機は「借金返済と、愛人の理容師の歓心を買う為」だった。
「金を得るためなら殺しも厭わない詐欺師」である西口が、5人もの人を殺してまで手にした金は80万円ほどであった。

西口は大学教授や弁護士を名乗る時は、必ず眼鏡をかけた。インテリに見せるためである。「疑われたことは1度もなかった」と豪語している。汽車のなかでも旅館でも、教育心理の本を開いた。難解で面白くもないような本だったが、読んでいるうちに内容がわかって、案外面白かったという。

【私を笑ってください】
1964年11月、検察は西口に死刑求刑。
1965年1月2日、福岡地裁小倉支部、「神も許さず、人もまた許すことの出来ない凶悪犯罪人である」として死刑判決。
同年8月28日、福岡高裁、控訴棄却。

この頃、西口の長男は、父親が殺人犯だと知り、グレて学校にも行かなくなった。そのことを聞かされた西口は、「俺のような人間の真似をするな!」と悲痛な声を上げ、長男に20数枚の手紙を書き、立ち直ったことを知って安心していた。連続殺人者というわりに、妙に人間臭いところがあると思わせるエピソードである。

1966年8月15日、西口、上告取り下げ。死刑が確定した。
70年12月11日、死刑執行。享年44。公判で検察側から「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」「悪魔の申し子」と形容された西口も、執行の前は点字翻訳のボランティアに励んでいた。
 ペンフレンドだった明治学院大学の女子大生からの依頼で、卒論用の哲学書を点字訳にした。この作業は1日ぶっ通しの作業で6ヶ月かかったが、完成した時には「人のために、本気になって仕事したのはこれが初めてだった」と手記に記した。

獄中での西口は「罪は海よりも深し」という大学ノート8冊分の手記を記している。その手記の最後にはこう記されていた。

私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください
当然の制裁でありましょう
長いことお騒がせいたし恐縮です
失礼いたしました

佐木隆三氏は、この事件を題材に「復讐するは我にあり」という小説を書き、第74回直木賞を受賞した。今村昌平監督、緒方拳主演で映画化もされた。映画は弁護士殺害現場である池袋雑司ヶ谷のアパートをそのまま撮影に使うなど、事件と原作を忠実に再現した。

【トピックス 『広域重要事件特別捜査要綱』】
昭和30年代より自動車が急速に普及、また道路が整備されたことで、凶悪犯罪が広範囲にまたがって起こることが多くなった。こうした犯罪は、犯人の逃走スピードが早くて捜査が追いつかなかったり、各都道府県警同士の捜査の協力が万全でなかったりして、事件解決が難しくなっていった。

1957年に他の都道府県警に捜査依頼や指名手配などの協力関係の基本を定めた「犯罪捜査共助規則」が制定されたが、統一的に指揮する官庁がなかったためうまく機能しなかったのである。

1964年、警察庁は「広域重要事件特別捜査要綱」を策定した。これは国が予算を出し、警察庁が「広域重要指定事件」として調整を行うもので、各都道府県警が捜査を行う体制が整えられた。直接的にはこの西口彰事件がきっかけとなった。

著名な指定事件として、永山則夫連続射殺事件、グリコ・森永事件、宮崎勤事件などがある。
≪参考文献≫
葦書房 「実録 福岡の犯罪 下」 フクオカ犯罪史研究会・編
梓書院 「マイク50 戦後九州の主人公たち」 KBCラジオ制作部編
アスペクト 「実録 戦後殺人事件帳」
イーストプレス 「日本凶悪犯罪大全」 犯罪事件研究倶楽部
学習研究社 「歴史群像シリーズ81 戦後事件史 あの時何が起きたのか」
河出書房 「白と黒のあいだ 福岡誤殺事件」 古川泰龍
河出書房新社 「現代日本殺人史」 福田洋・著、石川保昌・編
現代評論社 「現代の眼 78年8月特大号 全特集・戦後犯罪史-怨恨と欲望の社会病理」
現代評論社 「犯罪・海を渡る」 平岡正明 
講談社 「ビジュアル版・人間昭和史 昭和の事件簿」 扇谷正造監修
講談社 「復讐するは我にあり 上」 佐木隆三
講談社 「復讐するは我にあり 下」 佐木隆三
作品社 「犯罪の昭和史 3」 作品社・編
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
ジャパンミックス 「猟奇殺人のカタログ50」 CIDOプロ・編
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
新潮社 「日本の大量殺人総覧」 村野薫
新風舎 「激動昭和史 現場検証 戦後事件ファイル22」 合田一道 
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
宝島社 「別冊宝島 殺人百貨店 日本人はどういう理由で人を殺すのか?」 
宝島社 「別冊宝島 死刑囚 最後の1時間」
宝島社 「別冊宝島 猟奇事件ファイル 【悪魔と呼ばれた人間たちの犯罪履歴書】」 
筑摩書房 「犯罪紳士録」 小沢信男
鉄人社 「映画になった戦慄の実話」 鉄人ノンフィクション編集部
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
図書出版社 「増補版 事件百年史」 楳本捨三
日本文芸社 「現代読本 波乱怪奇!人と事件百年史 1月創刊号」 
扶桑社 「日本猟奇・残酷事件簿」 合田一道+犯罪史研究会 
二見書房 「衝撃犯罪と未解決事件の謎」 日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線」・近藤昭二編著
夕刊フクニチ新聞社 「福岡犯罪50年史 戦後編」 夕刊フクニチ新聞社編
ワニマガジン社 「極悪人 世界悪漢列伝―脅威の悪人たち!」 
http://yabusaka.moo.jp/nishiguchiakira.htm
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